六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。(出エジプト20:9,10)
イエスは人々に言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」(マルコ3:4)
主なる神さまが私たちの生活に一定のリズムを刻んでくださいました。七日間という一週間の区切りと、その内の六日は働き一日はどのような仕事もしない特別な日とする。神がお定めになった独特のリズムです。
五日でも十日でも良いので、何らかの周期を守るという話ではありません。あるいは、何曜日でも良いから週に一日は休むという話でもない。今の私たちで言えば日曜日という特別な日を覚えて、その日を聖なる日とし、普段の仕事から離れて神の前に出る。それが「安息日」の掟です。
もちろん、私たちが今生きている社会は古代社会よりもずっと複雑ですし、「キリスト者だから日曜日は休みます」と言っても必ずしも通用するわけではありません。さらに言えば、私たちは日曜日でも働いてくださっている方たちのお陰で生活できています。警察も消防も電車も病院も、日曜日でも動いています。それらを使って教会に行くし、働いてくださっている方たちのお陰で私たちの生活の安全が守られています。
それでもなお一週間の中に特別な日があり、その日は神のものだというのは私たちにとっては欠かせない「福音」です。この日が定められていることは、良い知らせです。この日が善を行うべき日であり、命を救うべき日であるからです。何よりも神ご自身が私たちのために安息日にも、真夜中にも働き続けてくださっています。私たちを救うために。この神の愛に促されて、私たちも愛の業に仕えるようにと神に遣わされている。私たちは日曜日のそのことを覚え、礼拝し、新しい心で世界へ派遣される。キリストの後についていくために、私たちは日曜日を大切にします。
イエスは人々に言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」(マルコ3:4)
主なる神さまが私たちの生活に一定のリズムを刻んでくださいました。七日間という一週間の区切りと、その内の六日は働き一日はどのような仕事もしない特別な日とする。神がお定めになった独特のリズムです。
五日でも十日でも良いので、何らかの周期を守るという話ではありません。あるいは、何曜日でも良いから週に一日は休むという話でもない。今の私たちで言えば日曜日という特別な日を覚えて、その日を聖なる日とし、普段の仕事から離れて神の前に出る。それが「安息日」の掟です。
もちろん、私たちが今生きている社会は古代社会よりもずっと複雑ですし、「キリスト者だから日曜日は休みます」と言っても必ずしも通用するわけではありません。さらに言えば、私たちは日曜日でも働いてくださっている方たちのお陰で生活できています。警察も消防も電車も病院も、日曜日でも動いています。それらを使って教会に行くし、働いてくださっている方たちのお陰で私たちの生活の安全が守られています。
それでもなお一週間の中に特別な日があり、その日は神のものだというのは私たちにとっては欠かせない「福音」です。この日が定められていることは、良い知らせです。この日が善を行うべき日であり、命を救うべき日であるからです。何よりも神ご自身が私たちのために安息日にも、真夜中にも働き続けてくださっています。私たちを救うために。この神の愛に促されて、私たちも愛の業に仕えるようにと神に遣わされている。私たちは日曜日のそのことを覚え、礼拝し、新しい心で世界へ派遣される。キリストの後についていくために、私たちは日曜日を大切にします。