2025年9月22日月曜日

2025年9月22日の聖句

そのみわざは栄光と尊厳とに満ち、その義はとこしえに、うせることがない。(詩編111:3)
私には、律法による自分の義ではなく、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。(フィリピ3:9)

神さまの義はとこしえであって、失せてしまうことはない、と聖書は言います。神の義です。神がお立てになった神ご自身の義。それは永遠です。
しかし私の傾向を省みてみると、神の義ではなく自分の義こそが永遠であるかのように考えてしまいがちです。自分の正しさこそが普遍的で、まさに「正義」に他ならないと心のどこかですぐに考えてしまう。だから自分の義が曲げられたり邪魔されたりしたと感じると、不正義が横行しているかのような気持ちになってしまいます。
しかしそのようなものが正義でも何でもなくただのわがままでしかないことは誰にでも分かることです。ところが、そうと分かるのに、「自分の義」はどうしようもない力をもっている。
聖書は言います。「私には、律法による自分の義ではなく、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。」自分の立てた気になっている義は一瞬で消え失せてしまう独り善がりなものでしかありません。しかしそれとは全く関係なく神がご自分の義を立ててくださった。しかもキリストの真実によって、神ご自身の真実に基づいて。これは私の怒りやわがままに基づくのではない。主イエス・キリストによって現された神の愛に基づく義。永遠なる神の義。神の栄光と尊厳に立脚する義。
そうとすると真の義とは、神が神らしく振る舞われること。そう言っても良いと思います。神が神らしくいらっしゃり、そして私は神に造られた人間らしくいる。そこに正しい秩序があるのだと思います。

2025年12月4日の聖句

律法を知らない子どもたちが、またこれを聞きかつ学び、あなたがたの神である主をいつでも畏れるようになるべきです。(申命記31:13) 父親たち、子どもを怒らせず、主のしつけと諭しによって育てなさい。(エフェソ6:4) 私にとっては非常に耳の痛い御言葉です。「父親たち、子どもを怒らせ...