あなたの庭で過ごす一日は、私の選んだ千日にもまさる。(詩編84:11)
イエスは両親に言われた。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」(ルカ2:49)
私たちの願いは、主の家に住み、主の庭に憩うことです。私たちはその日を目指して、この世の旅路を続けています。
今日の新約の御言葉は、主イエスさまの12歳の時の出来事です。今の日本の感覚で考えると12歳はまだ子どもですが、当時のユダヤでは、昔の日本でいう元服の年齢だったようです。何よりも神を礼拝する者として一人前になる。ですので、両親は12歳になった息子を連れて、特別な思いを持って過越祭に上ったのだと思います。ところがその帰り道で両親は主イエスを見失ってしまった。三日間も探し、ようやく神殿にいるところを見つけてマリアはたしなめました。「なぜ、こんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」私も人の親としてマリアの気持ちはよく分かります。ところが主イエスは全く違うことをおっしゃいました。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」
マリアが「私もお父さんも」といったのに対し、主イエスは「自分の父の家にいる」とお答えになった。主イエスは神を父と呼んでおられる。そして、マリアとヨセフはこのとき、主イエスが神の子でいらっしゃることを見失っていたのでしょう。自分の息子としか見られなくなっていた。そのズレが指摘される出来事でした。
神の子でいらっしゃる、という主イエスの事実。これを主イエスはただご自分だけの者とはなさいませんでした。私たちをも神の子として迎えてくださいます。私たちも神を父と呼んで神の家に帰り、神の庭で憩う幸いに招いてくださっている。私たちの人間的な情を超えたお方が、私たちのための神の子として私たちのところに来てくださったのです。
イエスは両親に言われた。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」(ルカ2:49)
私たちの願いは、主の家に住み、主の庭に憩うことです。私たちはその日を目指して、この世の旅路を続けています。
今日の新約の御言葉は、主イエスさまの12歳の時の出来事です。今の日本の感覚で考えると12歳はまだ子どもですが、当時のユダヤでは、昔の日本でいう元服の年齢だったようです。何よりも神を礼拝する者として一人前になる。ですので、両親は12歳になった息子を連れて、特別な思いを持って過越祭に上ったのだと思います。ところがその帰り道で両親は主イエスを見失ってしまった。三日間も探し、ようやく神殿にいるところを見つけてマリアはたしなめました。「なぜ、こんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」私も人の親としてマリアの気持ちはよく分かります。ところが主イエスは全く違うことをおっしゃいました。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」
マリアが「私もお父さんも」といったのに対し、主イエスは「自分の父の家にいる」とお答えになった。主イエスは神を父と呼んでおられる。そして、マリアとヨセフはこのとき、主イエスが神の子でいらっしゃることを見失っていたのでしょう。自分の息子としか見られなくなっていた。そのズレが指摘される出来事でした。
神の子でいらっしゃる、という主イエスの事実。これを主イエスはただご自分だけの者とはなさいませんでした。私たちをも神の子として迎えてくださいます。私たちも神を父と呼んで神の家に帰り、神の庭で憩う幸いに招いてくださっている。私たちの人間的な情を超えたお方が、私たちのための神の子として私たちのところに来てくださったのです。