2023年11月7日火曜日

2023年11月7日の聖句

わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。(エゼキエル34:23)
イエスは群衆を見て深く憐れまれた。彼らが羊飼いのいない羊のように恐れに駆られ、散り散りになっていたからである。(マタイ9:36)

「羊飼いのいない羊のよう」というのは、旧約聖書以来の独特の表現で、王のいない、あるいは悪くいて無能な王しかいないために苦しむ民を表す言い回しです。主イエスがご覧になった民は、本来であれば彼らを治めて正義と慈しみを行うべき王がおらず、苦しみながら生きていました。この世で苦しむ人々をご覧になって、主イエスは深く憐れんでくださるお方です。主イエスさまの憐れみが、新しい出来事を起こす。
なぜなら、主イエスさまこそが私たちの真の王であるからです。「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。」神が起こしてくださった牧者、私たちの王、それは主イエス・キリストに他ならない。主イエスは私たちのために神の国を宣言し、私たちのための神の支配を始めてくださいました。神の憐れみが支配するまことの国の王として、主イエスは私たちの間に来てくださった。
群衆が飼い主のいない羊のように恐れに駆られているのをご覧になって、主イエスはおっしゃいます。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」羊飼いのいない羊のように怯えている人々をご覧になって、まことの羊飼いがおられるという福音の言葉を届ける人が必要だと主イエスはおっしゃった。私たちの真の王、正義と慈しみに満ちたまことの王がおられると宣言する福音の知らせを届ける働き手が必要だ、と主イエスはおっしゃる。そして、それは何よりも祈りの課題です。「働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」自分たちで頑張れなどと主イエスはおっしゃっていない。働き手を送ってくださるように祈りなさい、とおっしゃいました。
私たちのカンバーランド長老教会にも新しい働き手、福音を宣べ伝えるための働き手を送ってくださるようにと私たちも祈りましょう。神の国は、宣言されなければなりません。まことの羊飼いが来ておられるからです。まことの羊飼いをみんなが必要としているからです。そのために仕える働き手を増し加えてください、と私たちも主イエスに促されて祈りましょう。

2023年11月6日月曜日

2023年11月6日の聖句

神よ、あなたの道は聖なる道。(詩編77:14)
(イエスの言葉)私は父のもとから出て、世に来た。(ヨハネ16:28)

父のもとから出て、私たちの生きる世に来てくださった主イエス・キリストの道。それは聖なる道。神の子の聖なる道です。
カール・バルトという神学者がいます。主イエスさまが私たちの世に生まれ、十字架への道を歩んでいかれた。バルトはこの出来事を「異郷に赴く神の子の道」と言い表しました。天にこそご自身のいるべき場所をお持ちの神の子イエスにとって、この世は異郷です。私たちの生きるこの場所に、しかし神の子がへりくだって降ってきてくださった。クリスマスの出来事です。更に主イエスの出来事はクリスマスで終わりません。主イエスのへりくだりは更に徹底し、最も低いところにまでへりくだり、十字架の死に至るまで従順でした。異郷に赴く神の子の道は、十字架への道です。
主イエス・キリスト、神の子であるお方の道、聖なる道。それは神の子がへりくだって一人の人間になる道。へりくだって、十字架の死に至るまで従順を貫く道です。この聖なる道は、私たちのための救いの道です。神の子は父のもとから出て、私たちのところにまで来てくださったのです。
異郷へ赴いて私たちのところへ来てくださった神の子は、私たちのために伸ばされた神様の和解の手そのものです。私たちのところにまで主イエスが来てくださったのは、私たちを神さまのものとして取り戻すために他ならない。
このお方を仰ぎ、見上げ、このお方を求める一日を過ごしていきましょう。主イエスさまを求め、主イエスさまの道こそ私たちの救いの道と信じて今日の日を歩んでいきましょう。神さまの方から手を伸ばしてくださっています。神の子キリストへの祈りの中でこの一日の祈りの道を上っていきましょう。

2023年11月5日日曜日

2023年11月5日の聖句

今週の聖句:
赦しはあなたのもとにあります。あなたが畏れられるために。(詩編130:4)

今日の聖句:
正義と慈しみを追い求める人は、命と正義と誉れを得る。(箴言21:21)
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。(マタイ6:33)

正義と慈しみ、と言っています。聖書は正義と慈しみの両方を大事にします。慈しみのない正義は、隣人を生かすことができなくなってしまうこともあるでしょう。正義のない慈しみは、ただただだらしなくなってしまうときもあるかも知れません。私たちは得てしてどちらかに傾きがちです。ところが聖書は正義と慈しみを両方とも重んじます。
聖書を読んでいつも驚くのは、愛に際限がないということです。このくらいまで愛せば十分かなという線を、聖書は決して引きません。隣人の痛みへの胸のかきむしられるような慈しみ、人を痛めつける正義にもとる力への抵抗、それらに限界を設けてしまうことがない。
それは、神様が際限なく愛してくださるお方だからです。「正義と慈しみを求める人は」と言いますが、何よりも先ず、神ご自身の正義、神ご自身の慈しみなのではないでしょうか。だからこそ、主イエスはおっしゃるのです。「神の国と神の義を求めなさい。」ここで、<神の>国、<神の>義とおっしゃっていることを心に留めたいと思います。主イエスは、あくまでも神ご自身が告げ、もたらしてくださった国を、義を求めるようにと命じておられます。私たちが打ち立て、私たちが確立する国や義ではない。キリストが宣言する国であり、キリストが確かにしてくださった義です。キリストが留まることを知らぬ愛によって貫いてくださった国を、義を、私たちは求めて生きている。
神は、必ず私たちにすべてのものを与えてくださいます。私たちの生きるべき使命に私たちを生かしてくださる。主イエス・キリストを見上げ、この方に礼拝を献げ、今日の日を生きていきましょう。

2023年11月4日土曜日

2023年11月4日の聖句

母がその子を慰めるように、私はあなたがたを慰める。(イザヤ書66:13)
求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになります。(ヨハネ16:24)

私が教会堂の二階にある牧師室で仕事をしていたら、妻がすぐ脇にある水場に来て礼拝の時に飾る生け花の準備をしだしました。すると一番下の娘が来て、少し泣きながら何かを話しかけました。妻は手を止めて娘の話を聞いてあげていました。最初は泣いていましたが、少しずつ安心したような声になっていきました。
「母がその子を慰めるように、私はあなたがたを慰める。」
この言葉自体が慰めに満ちた言葉です。神が私たちを慰めてくださる。
更に、今日は新約にある主イエスの言葉も与えられています。「求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになります。」娘は、今は声をかけたら迷惑かななんて全然考えていませんでした。今、自分は母の慰めを必要としている。そして、母のところへ行けば必ず慰めてくれる。そのことしか考えていなかった。私たちには、神様へのそういう思いがあるでしょうか。神様は、私たちの肉の母がそうであるのにまして、そらには比較にならないほどに深く、慰めに満ちたお方です。このお方を信頼し、必ず慰めてくださる神様の優しさを信じて、私たちも慰めを求めましょう。
「求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになります。」求めなさい、と主イエスは言われます。私たちは他の何でもなく、神ご自身を求めます。神の御顔を求め、神がくださる慰めを求める。私たちの慰めは、主なる神様ご自身です。私たちは主が観顔を向けてくださることを更に深く知るとき、最高の喜びを頂くのではないでしょうか。
主イエス・キリストは私たちを慰めるために、私たちに御顔の光を照らして待っていてくださいます。キリストの恵みと慰めの内に歩む一日でありますように。

2023年11月3日金曜日

2023年11月3日の聖句

11月の聖句:
神は自ら天を広げ、大海の高波を踏み歩く。神は大熊座、オリオン座、プレアデス、そして南の星座を造られた。(ヨブ9:8~9)

今日の聖句:
主を求めよ。地の苦しむすべての者たち、主の法を行った者たちよ。義を求め、謙遜を求めよ。(ゼファニヤ2:3)
ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。(コロサイ3:12)

神を信じ、神を求めて生きる私たちすべての者に向かって、聖書は語りかけます。私たちの苦しみを知り、私たちの疲れや呻きややるせなさを見つめながら、私たちに語りかけるのです。
「主を求めよ。地の苦しむすべての者たち、主の法を行った者たちよ。義を求め、謙遜を求めよ。」
義を求め、謙遜を求めよ。神様の御前にへりくだれ、ということでしょう。私たちは生きるためのいろいろなことがあります。喘いでいます。そんな私たちにとっていちばん大切なことは、ただ一つです。神を愛し、神を求め、神の御前にへりくだること。これです。これこそ、私たちが人間らしく生きるのに最も大切なことです。
「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」私たちが憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着ける前提として、聖書は「あなたがたは神に選ばれた者、聖なる、愛されている者」だ、と宣言します。神が私たちを愛してくださり、選んでくださっている。その絶対的な事実の中で、私たちは今日も生きている。その事実が憐れみの心を、慈善を、謙遜を、寛容を私たちの内に結ぶ。それは、神がしてくださる神の御業です。
今日、この一日を、安心して生きていきましょう。私たちはキリストのものです。キリストが私たちへの愛を示し、聖なる者としてくださいました。圧倒的なキリストの出来事を信頼して、生きていきましょう。

2023年11月2日木曜日

2023年11月2日の聖句

主なる神は、弟子が持つような舌を私に与えた。
疲れた者たちに、時宜に適って言葉を語るすべを弁えるようにと。(イザヤ50:4)
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。(マタイ25:39)

疲れた者に時宜に適って語るように、神が私に舌を与えてくださったと言います。疲れた人や傷ついた人に寄り添い、適切な時に適切な言葉で語りかけ、本当の意味で慰めになることは簡単なことではありません。神がそのための舌を与えてくださる、と今日の御言葉では言っています。確かに、これまで何度不適切なタイミングや不適切な言葉のために人を傷つけてしまったか分からないような者にとって、神が舌を授けてくださるのでなければ、一体どうして良き言葉を語りうるのか、途方に暮れるばかりです。
メンノ・ジモンズという人がこのように言っているそうです。「まことの教師とは、キリストと共に、散らされた者たちを集め、傷ついた者に包帯をし、病気の者を癒やす人たちのことです。」この「まことの教師」というところを、「まことのキリスト者」と言い換えてもよいと思います。ただ、自分の言動が散らされた者を集め、傷ついた者に包帯をし、病気の者を癒やすようなものであるのかと考えると、あまりにも申し訳ない思いにならざるを得ない。神が舌を与えてくださるのでなければ、どうしてこのような慰めの人になり得るのでしょうか。
今日の新約聖書の御言葉にはこのようにあります。「いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」この言葉に、主なる神様はこの最も小さな者の一人にしたことは私にしたことであるとお答えになります。とても大切なことは、ここでこのように言った者は、一体自分がいつ神様の御心に適うような愛に生きられたのか、自覚もないということです。本人も自覚しないような小さな愛の業を神が憶えていてくださる。そして、その小さな愛の業をなす舌も手も神が与えてくださったものです。神は憐れみ深いことに、自分でも気がつかないような小さな愛の業に私たちを生かしてくださるし、同時にそれを憶えてくださるお方です。この神を信じて、大胆に今日の日を生きていきたいと願います。

2023年11月1日水曜日

2023年11月1日の聖句

昔の日々を思い出して、世々の歳月を顧みよ。あなたの父に問えば、答えてくれる。長老たちも、あなたに話してくれる。(申命記32:7)
あなたが抱いている偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスとエウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、私は確信しています。(2テモテ1:5)

神様を信じる信仰は、私たちの発明品ではありません。私よりも先に信じた人から伝え聞き、それを自分も信じる。そういう連綿とした信仰者たちの営みが静かに続いてきました。今日私たちに与えられている新約聖書の御言葉は、使徒パウロが若き伝道者テモテに書き送った手紙に書かれているものです。テモテの祖母ロイス、そして母エウニケは既にキリスト者だった。祖母や母から口伝えに主イエスの福音を聞き、信じ、やがてテモテ自身も伝道者として生きるように召された。そのテモテの原点は、祖母や母に宿った信仰でした。この二人が信じる神を、テモテもまた信じた。
何もそれは新約の時代だけの話ではありません。旧約の時代から、ずっと続いている営みです。「昔の日々を思い出して、世々の歳月を顧みよ。あなたの父に問えば、答えてくれる。長老たちも、あなたに話してくれる。」あなたの父が、母が、神と共に歩んだ神の民の歴史をあなたに語ってくれる、と言います。
この父や母というのは、血のつながりのことだけを言っているのではないと思います。私たちは教会という共同体で神を信じて、新しい家族を得ます。信仰者としての自分の父や母が教会にはたくさんいる。この人たちが、私たちに神の恵みの歴史を口移しに語り聞かせてくれる。そして、その神の民の歴史に私もまた加わっている。そうやって、私たちも神の民の一員として生きています。
私たちも、信仰の次の世代へと神の恵みを証しします。人間、生まれたばかりの時は赤ちゃんです。言葉を知らないけれど、母や父が自分に愛をもって語る言葉を聞いて、言葉を獲得します。神を信じた私たちも、赤ちゃんでした。神の恵みを語り聞かせる言葉に触れて、私たちも信仰の言葉を獲得する。今、あなたの周りにも信仰の言葉を待っている神の子どもたちがいます。主イエス・キリストの恵みを分かち合う愛の言葉を待つ神の民が、ここにいます。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...