(逐語訳)
57 私の分 主よ 私は言った 守るために あなたの言葉を
58 私は嘆願した あなたの顔に 全ての心において
私に好意を見せてください あなたの仰せのように
59 私はよく考えた 私の道について
そして私は戻した 私の両足を あなたの定めに
60 私は急いだ そしてない 私は遅れた
守るために あなたの戒めを
61 縄が 悪い者たちの 私を囲んだ
あなたの律法を ない 私は忘れた
62 夜の真夜中に 私は起きる
感謝するために あなたに あなたの正しさの裁きについて
63 友 わたしは 全てにおいて あなたを畏れるところの
そして守る者たちに あなたの命令を
64 あなたの慈しみで 主よ 満ちた 地は
あなたの掟を わたしに教えてください
この詩編の構成
57、58節、63、64節がこの連の枠を形成し、59から62節が間に挟まれている。そのしるしは、前後の枠に共に「主よ」、「守る」という共通した単語があり、また、双方に命令形の動詞が配置されている。なお、「守る」は60節にもあり、「守る」が含まれた三つの段落から構成されていると言える。
何が変化をもたらしたのか(57から58節と63から64節)
詩編作者は主の言葉を守ることが自分の取り分だと主張する。しかし、決してたやすい環境にいたのではない。58節の「嘆願した」は元々「病む」という意味の強意形であり、病みいるほどの強い願いを表す。主の好意を必要とする作者の置かれた状況の厳しさを思わせる。
対して最後では様子が異なる。自分は主を畏れる全ての人、主の命令を守る人々の友である。また、主の慈しみは地に満ちている。当初の悲壮感は感じられない。「地」は神の救いの約束を思わせる語である。この地に立つ作者は主の掟を教えてくださいと祈る。この地で道を進むための指針を求めているのだ。
なぜ、これほどの変化を見せたのか。その理由がこの段落の主題である。
真夜中の感謝(59から62節)
この部分は一節ずつa→b→a’→b’となっている。まず、59と61節だが、作者は「私の道」をよく考えた。なぜなら、この道は今悪い者に囲まれ、束縛を受け、主の道から足を踏み外し、律法を忘れかねない危機にあるからだ。だから、冒頭で作者は懇願した。主の好意が必要なのだ。この危機にあって、作者は主の定めに自分の足を戻し、律法を忘れませんと決心する。続けて60と62節。もはや悪い者らの縄目に囚われている必要はない。急ぎ、遅れることなく主の戒めを守る。そして、夜の真夜中に起きる。主の正しさの裁きに感謝するために。真夜中は主の道を見失うような闇の深さを思わせるが、もはや作者はその闇の中にあっても主の戒めを守り、主の裁きに感謝を献げるのだ。この「感謝する」という動詞は元来「知る」という意味で、感謝や告白という意味を持つ。主の力を知れば感謝だし、自分の罪深さを知れば罪の告白となる。深く神を知り、心の底からの感謝を献げるのだ。
祈りのために
なぜ、詩編作者は主に立ち返ったのか。よく考え、実は主の恵みを知っていたことを思い起こしたのだろう。真夜中の主イエスの裁判でペトロ主を裏切ったが、やがて自分の罪を知り、主の慈しみを知った。「私の羊を飼いなさい」が新しい掟だ。
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