今朝与えられた御言葉の中でも特に23から26節は、聖餐の制定の言葉として、教会の中で繰り返し朗読されてきた言葉です。使徒言行録を開いてみると、最初の教会はパンを裂くことに熱心だったと記録されています。パンを裂く、つまり、聖餐を繰り返し祝っていたのです。宗教改革の時代にまとめられたアウグスブルク信仰告白では、教会とは「聖徒の会衆であって、そこで、福音が純粋に教えられ聖礼典が福音に従って正しく執行せられるのである」と言い表されています。純粋な福音の教え、それは、パウロがこの手紙で既に言ったとおり「十字架の言葉」を語る説教のことでしょう。そして、十字架の言葉に基づいて洗礼が授けられ、聖餐が祝われる。それが教会だ、と言うのです。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」
パウロが聖餐についてこのように伝えているのは、もともと、コリントの教会にそのことを改めて訴える必要があると考えたからです。教会に一体何があったのか?「お互いの間に仲間割れが」あった。たしかにそういうことも起ころうが、しかしそれでは「一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならない」。なぜなら、貧しい者たちに恥をかかせているからだ、と言います。どういうことでしょう。恐らく、当時の教会は日曜日の夜に集まって礼拝をしていたのでしょう。その日はまだ休日ではありませんでしたから。一日の勤めを終えてから礼拝に集まります。しかし当然今のような教会堂はないので、誰かの家に集まります。集会が開けるほどの場所と考えると、比較的裕福な人の家だったと思います。そして、夕刻の早い時間に集まれるのは、やはり豊かな人です。貧乏人や奴隷は遅くなってしまう。彼らがやっとの思いで来た頃、既に主の食卓の祝いは終わり、ぶどう酒に酔う者までいた。貧しい者の食べる分は残されてはいなかった。しかも、当時の社会的な常識からして、当然のことと思われていただろうと考えられます。奴隷が主人の世話をするなど、当然の務めなのです。しかしそんなものはただのプライベートな食事、気の合う者同士の会食にすぎない。「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにはならないのです」。それがパウロの訴えです。そもそも、主の晩餐とは一体何だったのか。そのことを思い出そうと、23節以下の、私たちもよく知っている主イエスの言葉を改めて伝えたのです。
「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り…。」ここで、「引き渡される」という言葉に注目すると、引き渡したのは誰かが書かれていません。恐らく神的受動態、神がそうしたということを敢えて直接言わずに婉曲に表現する用法です。ここで暗に言われていることは、神がキリストを私たち罪人の手に渡した、ということです。「その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた(イザヤ53:6)」のです。イエスは、パンを裂き杯を飲むとき、それによって御自分を記念するようにと言われます。私たちの罪を負い、罪人の手に渡されて十字架に賭けられ、体を裂き、血を流して十字架に賭けられたキリストを思い起こす。そのとき、食卓の祝いが変わるはずだとパウロは訴えかけます。