2019年4月22日月曜日

2019年4月22日(ヨシュア記2〜3)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書21:1~14、ヨシュア記2~3、詩編119:81~96

ヨシュア記2~3;
受難週が挟まりましたが、今日からまた旧約聖書ヨシュア記に戻ります。ヨシュア記の主題は第1章に出てきていました。「私はモーセに告げたとおり、あなたがたの足の裏が踏む所をことごとく与える。あなたはただ、大いに強く、雄々しくありなさい。私の僕モーセがあなたがたに命じた律法をすべて守りなさい。そこから右にも左にもそれてはならない(1:3,7)」。神さまは、ヨシュアたちがその足の裏で踏む所をすべて与えてくださる。だから、それを信じて、聖書を羅針盤として実際に踏み出し、進んでいく。それがヨシュア記のメッセージです。
今日のところでも、そのメッセージは通底しています。カナンの地にあった巨大都市カナンに潜入した二人の斥候らは、遊女ラハブに助けられました。彼女は言います。「主があなたがたにこの土地を与えられたこと(2:9)」を私は知っています、と。ラハブは当然異邦人で主なる神様を信じていたわけではありません。しかし、主の言葉を信じて、斥候に協力しました。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはありませんでした(ヘブライ人への手紙11:31)」と言われているとおりです。
さらに、第3章ではヨルダン川を渡ります。橋はありません。春の水量が多い時期でした。約60万人のイスラエルの兵士が一体どうやって渡るのか。主が言われます。「全地の主である主の箱を担いだ妻子たちの足の裏がヨルダン川の水につかるや、上流から流れてくるヨルダン川の水がせき止められ、一つの堰ができるであろう(3:13)」。ここでも、やはり「足の裏」です。神を信じて、ごうごうと水が流れるヨルダン川に踏み込まねばならない。しかし、主を信じて一歩進んだとき、果たして水はせき止められて新しい道ができるのです。
神様は、私たちの神を信じた新しい一歩を待っていてくださいます。私たちの足の裏は、今日、どこを踏むのでしょうか。

2024年12月22日の聖句

今週の聖句: 主にあっていつも喜びなさい。主は近いのです。(フィリピ4:4,5b) 今日の聖句: あなたこそわが希望なる主。わが神よ、私は若い時からあなたに信頼しました。(詩編71:5) 私たちは、この希望のうちに救われているのです。現に見ている希望は希望ではありません。現に見て...