2019年7月6日土曜日

2019年7月6日(列王記下15〜16)

今日の通読箇所:詩編23、列王記下15~16、箴言4:1~19

列王記下15~16;
ユダとイスラエル、それぞれの王たちが何人も登場します。両国は、いよいよ末期に迫りつつあります。特に北のイスラエルは内政が不安定だったのでしょう、クーデターが何度も連続して起こっています。しかし一貫して、彼らは主の前に罪を改めることがありませんでした。それは、何よりも礼拝における罪です。主の御前に進み出ることなく、自分たちの都合に合わせて、やりやすい礼拝を追い求めていました。自分のニードにあわせた、名ばかりの信仰だったということであると思います。
そんな時代に、頼みの綱ともいうべきユダにアハズという王が登場しました。「彼は父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目に適う正しいことを行わなかった(16:2)」のです。彼は、北のイスラエルの王たちがそうであったように、主に従うことはしませんでした。「主がイスラエルの人々の前から追い払った諸国民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に日の中をくぐらせることさえした(16:3)」と言います。また、彼はアッシリアの王に使いを送り、自分たちをイスラエルから救ってくれるようにと言います。イスラエルは今は敵対していても同じ信仰を抱く同胞であり、アッシリアは、やがてそのイスラエルを滅ぼすことになる国です。アハズはアッシリアのために主の神殿の銀や金を貢ぎ物にしました。
そして、極めつけに、かつてのユダのどの王もしなかったことを彼はしてしまったのです。アハズはダマスコにあるイスラエルの祭壇を見て、祭司にそのレプリカを造らせます。王はその際段に上って自ら焼き尽くすいけにえを献げました。そして、もともと神殿にあった主の祭壇は北側にずらして自分のプライベイト用にし、新しい祭壇をもとの主の祭壇の位置に据え付けたのです。
アハズはイスラエルの王たちがしてきたことでは飽き足らず、それよりももっとひどいことをしました。祭壇をも軽んじて、礼拝を辱めました。それは、まさに自分のニードに合わせた礼拝であったと思います。私たちのニードや願いが先に立つとき、礼拝は堕落してしまう。そのことをまざまざと見せつける出来事であったと思います。

2025年1月13日の聖句

空しいものを見ないよう、私の目をそらせてください。(詩編119:37) あなたの目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身も明るいが、目が悪ければ、体も暗い。(ルカ11:34) 目は体の灯なのであって、目が澄んでいれば全身も明るくなる。ところが目が濁っていて見ることができず...