2020年3月2日月曜日

2020年3月2日(ヘブライ人への手紙2)

ヘブライ人への手紙2;
この手紙を読むときの一つのポイントは、イエス・キリストをどう呼んでいるかということです。昨日の第一章では「御子」と呼んでいました。今日の第二章は「イエス」となっています。なぜか。「子たちは皆、血と肉とを持っているので、イエスもまた同じように、これらのものをお持ちになりました」と言っています。イエスは、人間イエスです。私たちと同じ血と肉を持つイエスです。血と肉を持つということは、何よりも死ぬ者だということを意味します。「ただ、『僅かの間、天使より劣る者とされた』イエスが、死の苦しみのゆえに、『栄光と誉れの冠を授けられた』のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれたのです」と言っているとおり、イエスが一人の肉と血を持つ人間として死なれたのは私たちのためだったと聖書は言います。
「それはご自分の死によって、死の力を持つ者、つまり悪魔を無力にし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた人々を解放されるためでした。」悪魔は、私たちの死の恐怖によって私たちを奴隷にしている、とヘブライ人への手紙は言います。ここが、聖書の人間理解の一つの鍵なのだと思います。今、新しい病気のために社会が混乱しています。死への恐怖が生み出す混乱です。聖書は、そこに悪魔的な力の支配を見ています。それは、もちろん、病気なんて気にせずに無防備でいることが正しい、などという意味ではありません。適切な予防や健康管理は当然のことです。しかし、恐怖が私たちの目を見えなくさせることも事実です。
そんな私たちにとって、イエスが私たちと同じ肉体をもって生きてくださったことは、何と慰め深い事実でしょうか。私たちが信じる神様は、ご自身の経験として、この肉体の弱さやもろさを知っていてくださいます。病の苦しみも、主はご存じです。そして、主は、死を恐怖なさいました。十字架の上で『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』と叫ばれました。いや、この叫びは私たちが知っている死への恐怖どころの話ではありません。死の本質、神に捨てられるという事実を知り抜いて、キリストはこの叫びを口にされたのです。「多くの子たちを栄光へと導くために、彼らの救いの導き手を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。」この方が、私たち、もろくて崩れやすい肉体を持つ私たちを救いへと導いてくださいます。
私たちは、私たちのきょうだいになってくださったイエスを見上げましょう。「イエスは、神の前で憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を宥めるために、あらゆる点できょうだいたちと同じようにならなければなりませんでした。事実、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」アーメン!

2024年12月26日の聖句

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