2020年12月18日金曜日

2020年12月18日(ヨハネの黙示録18)

ヨハネの黙示録18
彼女と淫らなことをし、贅沢をほしいままにした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を眺め、胸を打って嘆き悲しみ、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立ってこう言う。
「災いだ、災いだ、大いなる都
強大な都バビロン
お前は一瞬のうちに裁かれた。」
地上の商人たちは、彼女のために嘆き悲しむ。もはや彼らの商品を買う者が誰もいないからである。その商品とは、金、銀、宝石、・・・・・・、奴隷、人の命である。

大淫婦への裁きが告げられます。昨日の箇所にも大淫婦が登場していましたが、大淫婦とは当時の地中海世界を絶対的な力で支配していたローマを指しています。ヨハネがこの黙示録を書いたときにはその力の絶頂です。しかもその覇権はこの後何百年も続きます。方やヨハネは島流しにされてパトモス島におり、各地のキリスト教会も風前の灯です。そんな状況下で、ヨハネは大淫婦の権力は永遠ではない、必ず滅びる日が来ると言いました。大淫婦の傲慢は必ず神に裁かれる。そう言ったのです。
今日の冒頭に掲げたところでは、王と商人が出てきました。王たちは、大淫婦の仲間になって贅沢をほしいままにしてきました。ローマにすり寄って甘い汁を吸ってきた世の権力者たちのことでしょう。自分のポジションを確かにするために、大淫婦という大樹の陰に寄っていました。
商人も出てきます。ローマに集まる大勢の人たちを相手に商売をしてきた。問題は商品です。金や銀あるいはその他のものは「物」ですから、自由にやりとりしても構わないのでしょう。しかしそれだけではなく奴隷や人の命までも金儲けの道具にしてきた。自分のために他人を利用する人間の浅ましさが裁かれています。
この世の権威や権力は、それがどんなに圧倒的で絶対的な力を持っているように見えたとしても、永遠ではありません。私たちが本当に畏れるべき方、敬うべき方は、私たちのために贅沢をするのではなく貧しくなり、他人を利用するのではなく他者のために自分のすべてを献げた方です。私たちにとって本当に価値ある物とは一体何かと、このクリスマスの時、キリストは私たちに問いかけておられるのです。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...