2020年12月19日土曜日

2020年12月19日(ヨハネの黙示録19)

ヨハネの黙示録19
それから、私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「忠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。・・・・・・この方は血染めの衣を身にまとい、その名は「神の言葉」と呼ばれた。・・・・・・この方の衣と腿には、「王の王、主の主」という名が記されていた。

白馬の騎士が登場します。忠実、および真実と呼ばれる方。神の言葉と呼ばれる方。明らかに、主イエス・キリストです。キリストが白馬に乗り、天の軍勢を率いておられる。
この方は「正義をもって裁き」ます。前の章まで、大淫婦が出てきました。あるいは獣や竜も登場していました。悪を象徴する存在です。どれもこれも作り話をしているのではなく、現実の悪を見据えて書かれています。金儲けのために人の命まで商売の道具にしたり、権力を維持するために獣を拝んだり、システムが自己目的化して人間を奴隷にしたりしています。聖書はそこに悪魔的な力を見ています。もはや人間の力を超えた、強力な悪が人間の意思を無視して働き始めて、私たちをその僕にしてしまう。根本は、私たちの罪です。キリストはそういう悪の力と戦います。正義をもって闘い、それに打ち勝ち、悪を裁かれるのです。
私たちの知っている「現実」では、正義はあまり実現しません。そうでなければ、それぞれが自分勝手な正義を持っていて、それを押しつけ合って争いになります。私たちの小さな手に収めることができる正義は、そもそも正義の名に値しなかったのかもしれません。ところが、キリストこそ正義をもって裁く白馬の騎士だと言うのです。
キリストの正義は、どのようにして貫かれるのか。「この方は血染めの衣を身にまとい」と書かれていました。キリストの衣は血に染まっている。誰の血なのか。私は、キリストご自身の血なのだと思います。十字架にかけられた時に流した血に染まっている。そうだとすると、キリストの正義はご自分を犠牲にするところに成立する正義です。キリストがご自身を犠牲にする正義を闘い、私たちのためにこの闘い打ち勝ち、大淫婦も獣も竜も打ち負かしてくださいます。
だから、この方は王の王であり、主の主です。ヘンデルのメサイアの中でもいちばん有名な「ハレルヤ」の歌詞もここから採られました。「王の王、主の主。」これこそ賛美です。私たちは正義を貫徹する王を迎え、この方だけを主とあがめます。そして、そうであるから、私たちもキリストの示してくださった正義に生きることが無駄ではないと知っているのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...