詩編38
私は自分の過ちを告げ
罪のためにおびえます。(19節)
主よ、私を見捨てないでください。
わが神よ、私から遠ざからないでください。
急いで私を助けてください。
わが神、わが救いよ。(22~23節)
詩編38は悔い改めの詩篇と呼ばれる七つの詩編のの一つに数えられています。自分の罪に苦しみ、神さまに救いを求める祈りの言葉が重ねられています。「あなたの憤りのために私の肉体に健やかなところはなく、私の罪のために、骨に安らぎはありません」罪は私たちの体や心に食い込み、私たちを蝕み、神の憤りを招いてきた事実は私たちにのしかかります。「私の過ちは頭を越えるほどにもなり、重い荷物のように重くのしかかります」。一体どうしたら、私たちは罪の重荷から自由になれるのでしょうか?
ホーソーンの『緋文字』という小説があります。ヘスターという女性と、彼女と密通した牧師ディムスデールの話です。ヘスターは姦通によって身ごもり、娘を出産します。その罰として姦婦を意味するAの緋文字を服につけさせられました。しかし、その相手が誰なのかは決して口にしなかった。ヘスターは罪を悔いながらも誇りを持って新しい人生を生きていこうとしますが、罪を秘匿しようとしたディムスデールは罪の重荷に耐えきれず、苦しみのために死んでしまったのです。
私たちの罪、過ちは過酷な重荷です。しかし、この詩編はその重荷を負いながら「主よ、私を見捨てないでください。わが神よ、私から遠ざからないでください」と祈ります。私たちを罪の重荷から救ってくださるのは、神さまだからです。神さまに罪を告白して祈り、救いを求める者を、神さまは救ってくださいます。「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます」(一ヨハネ1:8~9)。
私たちを救うのは、ただイエス・キリストです。私たちを罪の重荷から自由にし、神さまの御前に、隣人の前に、私たちが生きることができる道を拓いてくださるのです。
私は自分の過ちを告げ
罪のためにおびえます。(19節)
主よ、私を見捨てないでください。
わが神よ、私から遠ざからないでください。
急いで私を助けてください。
わが神、わが救いよ。(22~23節)
詩編38は悔い改めの詩篇と呼ばれる七つの詩編のの一つに数えられています。自分の罪に苦しみ、神さまに救いを求める祈りの言葉が重ねられています。「あなたの憤りのために私の肉体に健やかなところはなく、私の罪のために、骨に安らぎはありません」罪は私たちの体や心に食い込み、私たちを蝕み、神の憤りを招いてきた事実は私たちにのしかかります。「私の過ちは頭を越えるほどにもなり、重い荷物のように重くのしかかります」。一体どうしたら、私たちは罪の重荷から自由になれるのでしょうか?
ホーソーンの『緋文字』という小説があります。ヘスターという女性と、彼女と密通した牧師ディムスデールの話です。ヘスターは姦通によって身ごもり、娘を出産します。その罰として姦婦を意味するAの緋文字を服につけさせられました。しかし、その相手が誰なのかは決して口にしなかった。ヘスターは罪を悔いながらも誇りを持って新しい人生を生きていこうとしますが、罪を秘匿しようとしたディムスデールは罪の重荷に耐えきれず、苦しみのために死んでしまったのです。
私たちの罪、過ちは過酷な重荷です。しかし、この詩編はその重荷を負いながら「主よ、私を見捨てないでください。わが神よ、私から遠ざからないでください」と祈ります。私たちを罪の重荷から救ってくださるのは、神さまだからです。神さまに罪を告白して祈り、救いを求める者を、神さまは救ってくださいます。「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます」(一ヨハネ1:8~9)。
私たちを救うのは、ただイエス・キリストです。私たちを罪の重荷から自由にし、神さまの御前に、隣人の前に、私たちが生きることができる道を拓いてくださるのです。