2021年3月30日火曜日

2021年3月30日(マルコによる福音書12:18〜44)

マルコによる福音書12:18~44
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「よく言っておく。この貧しいやもめは、献金箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

イエスさまは、私たちの目には映らないものをご覧になっている。そう思います。
神殿での出来事です。皆が献金箱に金を入れていました。神殿の中の一角にそういう場所があって、いくつもの献金箱が並んでいたそうです。お金を入れる箱と言われると神社にある賽銭箱のようなイメージがあるかもしれません。この当時のエルサレムの献金箱は金属製で、ラッパのような形をしていたのだそうです。そうすると、たくさんのお金を入れるジャラジャラととても景気のいい音が響く・・・。お金持ちは周りの目や耳を気にしながら、誇らしい思いで金を入れていたのかもしれません。
しかし、ここにいる一人のやもめはそうではありませんでした。彼女はレプトン銅貨2枚を持って来て、献金箱に入れた。これは1/64デナリオンにあたる金額です。1デナリオンが労働者一日分の賃金ですから、とても少額です。実際、流通していた最小の貨幣でした。彼女は誇らしい気持ちもなかったでしょうし、周囲の人も誰も彼女のこと難敵に留めていなかったと思います。
しかし、ただ一人、主イエス・キリストだけは違いました。主イエスだけは彼女を人間扱いしていました。彼女の存在を認めて、目を注いでいました。そこに込められた彼女の信仰を、ただおひとり、主イエス・キリストだけが知っていたのです。
「この人は、乏しい中から持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」この生活費と翻訳されている言葉ですが、もとのギリシア語ではビオスという言葉です。英語のバイオの語源になった言葉で、命という意味です。このやもめは、乏しい中から持っている物をすべて、彼女の命を全部神に献げた。主イエスは彼女のそういう信仰をご覧になって、そのことを喜ばれたのです。
それは、主イエス様ご自身が、ご自分の命をこれから献げようとしておられたからではないでしょうか。主イエスは神殿の片隅で、これからご自分がしようとしておられることに先立ってしている一人の信仰者を見つけて、そのことをお喜びになったのではないかと私は思います。
キリストは、ご自分のすべてを献げてくださいました。私たちに命を与えるために。私たちのすべてになるために。この主に、私は何を献げましょう。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...