2021年4月24日土曜日

2021年4月24日(詩編118)

詩編118
私は激しく突かれて倒れそうだったが
主が私を助けてくださった。
主こそ私の力、私の歌。
私の救いとなってくださった。
歓喜と勝利の声が正しき人の天幕に響く。
「主の右の手は力を振るう。
主の右の手は高く上がり
主の右の手は力を振るう。」(13から16節)

「主こそ私の力、私の歌。」力強く、美しい言葉です。特に後半が私は好きです。主こそ私の歌。主をほめたたえ、主を賛美し、歌う。主ご自身が私の歌になってくださって、私は主を賛美することで今を生きる。そういう信仰者の告白です。
それは、激しく突かれて倒れそうな私を、主が助けてくださったからです。「激しく突かれた」と言っています。誰かに苦しめられたのでしょう。ただ18節を見ると「主は私を厳しく懲らしめた」とあるので、単に誰かに嫌がらせをされたと言うだけではなく、そこに神さまご自身の手を見ているのです。神さまご自身が私を懲らしめておられる。私は突かれている。しかし、主はそんな私を助けてくださった。主ご自身の右の手、主ご自身が力を振るって、私を助けてくださった。その確信が、このような賛美になって口から溢れているのです。
だから、「主のもとに逃れるほうが、人間に頼るよりもよい」と言っています。私を助けてくださるのは、救ってくださるのは、主なる神様をおいてほかにはない。私は主のもとに逃れ、人間には頼らない。
そして、22節以降、私たちがよく知っている言葉が出てきます。「家を建てる者の捨てた石が、隅の親石となった。これは主の業、私たちの目には驚くべきこと。」これは新約聖書でしばしば引用される言葉です。捨てられた石、隅に放られて、しかし驚くべきことに親石(建物を建てるための礎石)になったその石は、主イエス・キリストを指している。また、「祝福あれ、主の名によってこられる方に」という言葉も、主イエスに向けられる賛美として新約聖書で登場します。
主イエス・キリストこそ、私たちの救い。助け。そして、私たちの力。私たちの歌。主の名によって私たちのところへ来てくださったお方に、栄光と誉れがありますように!

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