2021年4月25日日曜日

2021年4月25日(詩編119:1〜8)

詩編119:1~8(アレフ)
あなたは命じられました。
あなたの諭しを固く守るように、と。
私の道が確かでありますように
あなたの掟を守るために。
そうすれば、あなたのどの戒めに目を留めても
恥じ入ることはありません。(4~6節)

詩編119は176節にも渡る長大な詩編です。しかしただダラダラと続いていると言うことではなく、8節ずつ22のまとまりからできています。それぞれの連の最初に「アレフ」とか「ベト」などと書いてありますが、これらはヘブライ語のアルファベットの名前です。例えば1から8節は、すべてアレフという文字から始まっています。その意味で、極めて韻文らしい詩編ということができます。(ちなみ、「アルファベットによる詩」と書いてある詩編はすべて何らかの仕方で似たような作りになっています。)
文字の上だけではなく、内容も一貫しています。主の律法、戒め、掟、言葉などのキーワードが散りばめられている。これらはすべてモーセ五書と呼ばれる創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記そのもの、あるいはそこに書かれた律法を指しています。今日与えられた1から8節では、主の掟を守り、私の道が確かな者でありますように、と祈っています。神の命令に従って生きたいという願いの告白です。
もしかしたら、私たちには、新約聖書のファリサイ派批判を少し誤解しているところがあるのかも知れません。「律法を守る私」が「守らないあなた」を差別したり、自分を誇ったり、自分の力でやっていけると考えることは謬りだと思います。しかし、主イエスは律法を廃止するのではなく、完成するために来られました。律法は、キリストを信じる私たちの生きる道案内です。ツアーコンダクターです。
1節では、主の律法に従って生きる者は幸いだと言います。神さまを信じ、神さまに従うことは私たちの幸い、私たちの喜び。神さまは私たちを我慢や根性の道に招いたのではなく、神の愛を生きる喜びへと招いてくださいました。神さまの前に生きるときにこそ、私たちの道は確かであるのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...