2021年5月20日木曜日

2021年5月20日(詩編123)

詩編123
あなたに向かって私は目を上げます。
天に座す方よ。
見よ、奴隷の目が主人の手に向かうように
女奴隷の目が女主人の手に向かうように
私たちの目は我らの神、主に向かう
主が私たちを憐れんでくださるまで。(1~2節)

この詩編を読むと、私はマリアのところへ天使がやって来たときのことを思い起こします。「あなたは身ごもって男の子を産む」と言われたマリアは戸惑いましたが、「神にできないことは何一つない」という天使の言葉を受け入れ、信じて言いました。「私は主の仕え女」です、と。お言葉どおり、この身になりますように。この「仕え女」という言葉は、本来は「女奴隷」という言葉です。女奴隷というとあまりにもイメージが良くないのでこういう翻訳にしたのかも知れません。しかし、女奴隷とはどういう存在かといえば、今朝の詩編では女主人の手をじっと見ている人です。しかも、憐れみを待ち望んで、女主人の手をじっと見つめる。それが聖書の言う女奴隷です。
マリアはまさにそういう信仰に生きた人です。私たちはマリア崇敬の信仰をもっていません。彼女に祈ることはしない。しかし、一人の信仰者として尊敬し、その信仰に学びたいと願います。神の憐れみを求めてじっと天に目を上げる信仰を、私たち自身の信仰にしたいと心から願います。

私たちを憐れんでください。
主よ、憐れんでください。(3節)

この詩編はそのように祈ります。周囲から蔑まれ、嘲られている。だからこそ、主の憐れみを待ち望み、その救いをあえぐようにして求めているのではないでしょうか。私たちの周囲からはいろいろな雑音が入ってきます。私たちの心を挫く声は大きい。だからこそ、奴隷が主人の手を見つめるように、女奴隷が女主人の手を見つめるように、じっと天に目を注いで、憐れみ深い神さまを待ち望みましょう。必ず、救いはそこにあります。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...