2021年5月29日土曜日

2021年5月29日(詩編132)

詩編132
ここに、ダビデのために一つの角を生やす。
私が油を注いだ者のために一つの灯を据える。
彼の敵には恥をまとわせる。
しかし、その灯の上には王冠が花開くであろう。(17~18節)

この詩編は、イスラエルの人々には特別な意味を持った詩編だったのではないかと思います。やがて来たる救い主を預言する詩編として読まれていたに違いないのです。「主よ、ダビデを思い起こしてください」と始まっています。そして、「あなたの僕ダビデのために、あなたが油を注いだ人の願いを拒まないでください」と言います。そして、それに対して神が答えてくださったと言います。「主はダビデに確かな誓いを立てられた。主がそこから引き返されることはない。」
従って、この詩編は「あなたの胎の実りの中からあなたの王座に着く者を定める」と言われている新しい王、メシア、救い主を待望する祈りの言葉と理解することができます。
「ここに、ダビデのために一つの角を生やす」と言われています。この詩編だけではないようですが、この詩編のことも覚えながら語られたに違いない言葉がルカによる福音書に登場します。祭司ザカリアの預言です。「我らのために救いの角を、僕ダビデの家に起こされた」とザカリアは言った。ザカリア夫妻はとても年を取っていましたが、神さまの御業のもとに息子が与えられた。その子の名を、天使に示されたとおりに「ヨハネ」と名付けたときにザカリアの口に上った預言の言葉の一節です。この預言は、救い主がこれから生まれてくることを喜び、ヨハネがそのために道を備える者となると述べ、神の憐れみの心を賛美しています。
主イエス・キリスト。この方こそ、私たちのために神が起こしてくださった救いの角です。角というのは力の象徴なのでしょう。あるいは、祭壇の角の意味かも知れません。祭司がいけにえの雄牛の血を流すと、祭壇の角にその血を塗るのです。(レビ記4:7参照。)キリストの血が流されたことを彷彿とさせます。御自ら血を流す救い主が、ダビデの家に生まれる。この方こそ、私たちのための救いの灯です。「その灯の上には王冠が花開くであろう」と言います。キリストの頭に花開いた王冠は、茨の冠でした。私たちのために血を流し、茨を王冠として戴く方。この方が私たちのただ一人の救い主です。

2024年4月19日の聖句

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