2021年5月30日日曜日

2021年5月30日(詩編133)

詩編133
兄弟が共に住むことは
何という幸せ、何という麗しさ。

頭の上に注がれたかぐわしい油のようだ。
それは、ひげに滴り落ちる。
衣の襟にまで垂れるアロンのひげに。
ヘルモンの露のようだ。
それはシオンの山々に滴り落ちる。

主はそこで祝福ととこしえに及ぶ命を定められた。(1~3節)

「兄弟が共に住む」ことの喜び、麗しさを言い表す詩編です。この住むという動詞は、新共同訳では「座る」と翻訳されていました。聖書のほかの用例を見ると、どちらの訳の場合もあります。新共同訳のように「座る」と理解するなら、この詩編は都に上る歌、巡礼歌ですから、礼拝を共に献げているという意味であるのかも知れません。あるいは聖書協会共同訳のように「住む」と理解するならば、共に生きるということなのでしょう。共に神を信じ、共に生き、共に喜びまた共に悲しむ。そうやって共に生きる生活を喜ぶ詩編と読むこともできます。そして、「座る」も「住む」も、互いを排除しないので、どちらの理解も可能であると思います。
兄弟が共に住む。その幸い、その麗しさを第二連目である2,3節で言い表しています。不思議な表現です。祭司のひげにしたたる香油のように麗しい、と言っています。何を言っているのか。出エジプト記29:7などを見ると、新しい祭司を任職するとき、頭に油を注いで聖別するようにと定められています。恐らくこの詩編では、その油のことを言っているのだと思います。新しく一人の兄弟が祭司として立てられた。そうやって神さまの御業が進んでいる。その麗しさ、その幸いをここで喜んでいるのでしょう。そして、神さまの御業を共に喜ぶ信仰の兄弟姉妹と共に生きる幸いを喜んでいるのでしょう。その喜びは、神が与えてくださる祝福、そしてとこしえの命の喜びです。私たちは神さまの御業に与るのです。
6月6日に、私たちは洗礼式を迎えます。新しい祭司の頭に油が注がれるように、新しい兄弟の頭に水が注がれます。そうやって進む神さまの御業を、私たちは共に喜びます。

2024年4月26日の聖句

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