2021年7月11日日曜日

2021年7月11日(箴言22)

箴言22
善意に溢れるまなざしの人は祝福される。
自分のパンを弱い人に与えるから。(9節)

とても印象的な言葉です。善意に溢れるまなざし、というのはとても良い言葉だと思います。善意が心から溢れて来る。そのような人は祝福される、と言います。その善意は自分のパンを弱い人に与えるというかたちで発露します。
22節からのところにはこのようにあります。

弱い人からかすめ取るな、その人は弱いのだから。
苦しむ人を町の門で踏みにじってはならない。
主が苦しむ人のために争い
その命を奪う者の命を奪うからだ。(22~23節)

自分のパンを弱い人に与える善意は、弱い人や貧しい人を重んじる主なる神様を重んじて生きている、という人のことです。もしも同じように弱い人に自分のパンをあげたとしても、それが賞めてもらうためだとか自分の評価を上げるためといったご褒美目当てだとしたら、空しことです。しかしここではそういうことではなく、まなざしから溢れるような善意によって、自分のものを人に与え、また弱い人を重んじ、苦しむ人のために公正な振る舞いをするのです。それは、とても美しいことです。
利己的な利他性は、醜いです。しかし、その人の内からわき出る善意によって利他的に振る舞うのなら、美しい行いです。そのような利他性や善意の起源を、箴言は主ご自身が弱い人をどのようにご覧になっているか、というところに見ています。主がその人のためになしてくださる御業をあがめ、主に従って、自分のパンを貧しい人に与える。思えば、私もそういう数え切れないほどの他者の善意に支えて頂いて、今生きているのです。神さまとの出会いは、そういう私たちの原点を気付かせます。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...