2021年7月6日火曜日

2021年7月6日(箴言17)

箴言17
一切れの乾いたパンしかなくとも平穏であるのは
いけにえの肉で家を満たして争うことにまさる。(1節)

この言葉がとても心に残りました。乾いたパンといけにえの肉とが比較されています。いけにえの肉は、牛にしても羊にしても、まず欠陥のないもの、場合によっては初子であることが求められます。しかもその中でも脂肪の部分を献げます。今のように栄養豊富な飼料を与えているわけではありませんから、脂肪は貴重だったに違いないと思います。いちばん良いものを神さまに献げた。本来神さまに献げるべきもの、豪華なもので家を満たしても、それで本当に幸せになれるのか?
サムエル記上2:12~17に、祭司エリの息子たちが燃やして主に献げるべき肉を自分たちの楽しみのために食べてしまっていた、という事件が記録されています。このとき彼らは贅沢を享受していましたが、結局自分たちの欲望に押し潰されるようにして破滅していきました。本来神さまに献げるべき贅沢を自分のために楽しむよりも、一切れの乾いたパンを平穏に、感謝を持って頂くことは遙かに優る幸せです。


愛を追い求める人は背きを赦すが
もめ事を繰り返す者は友情を裂く。(9節)

この言葉もとても心に残ります。愛することは赦すことです。もめ事を繰り返してしまうのは、自分が正しいと信じて疑わないからです。その確信はいつしか友情を裂いてしまう。他人を傷つけることを軽く考えてしまうからです。翻って「赦し」は、自分が傷つくことを引き受けます。痛みを自分の方で担う。そこに愛を見ている箴言の知恵は深いと思います。聖書の真理はここにあるのではないでしょうか。私たちも、キリストにあってこのような愛に召されているのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...