2021年10月28日木曜日

2021年10月28日の聖句

本当に、私たちの神、主のもと以外には、イスラエルの救いはありません。(エレミヤ3:23)
イエスは群衆を地面にすわらせ、七つのパンと魚を取り、感謝してからそれを裂き、弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。(マタイ15:35~36)

ここに書いてあるのとは別の出来事ですが、主イエスがガリラヤのカナというところで、婚礼の席のために水をぶどう酒に変えたという奇跡がありました。古代教会の教父の一人、アウグスティヌスという人がこの奇跡について、このような趣旨のことを言っています。主イエスがこのように水をぶどう酒に変えたという奇跡を聞くと、皆驚く。しかし、神は太陽を昇らせ、雨を降らせてぶどうを実らせ、人はそれを酒舟でぶどう酒にする。実はぶどう酒を生み出す神の奇跡はいつでも行われている。しかし人はそれを驚かない。
私がこの話思い出したのは、マタイが伝えている今日の御言葉を読んだからです。この日、主イエスは七つのパンと魚によって4000人の群衆を養いました。しかも大人の男だけで4000人と書いてありますから、総勢何人でしょうか。それをたった七つのパン、そして魚だけで。大変な奇跡です。私たちはこれを見て驚く。ところが、その4000人、あるいは女子どもも合わせたもっとたくさんのそこに集まった人たちは、毎日食事をし、水を飲み、生活を営んでいます。こうやって一度にたくさんの人が少ないもので養われたと言われれば大変な奇跡だと思いますが、実は毎日の生活も神さまの慈しみに満ちた奇跡の上に成り立っているのです。私たちが毎日を生きていること、食べていること、飲んでいること、それらは皆当たり前のことではありません。私たちを養う神さまの慈しみ深い奇跡の上に、私たちの命は保たれているのです。
「本当に、私たちの神、主のもと以外には、イスラエルの救いはありません。」本当に、そのとおりです。私たちの神、主のもとに、私たちの救いがあるし、私たちの命があるし、私たちの生活があります。この世にいるすべての人が、今日も神の慈しみの中に保たれています。神の慈しみと無関係に生きられる人なんていない。この大いなる神の愛に感謝をし、私たちのためにパンを裂いてくださるキリストの愛の中を、今日私たちは生かされているのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...