2021年10月30日土曜日

2021年10月30日の聖句

私は主、あなたの医者である。(出エジプト記15:26)
日が沈むと、様々な病に悩む者たちがイエスのところに連れてこられた。イエスは一人一人に手を置いて癒やされた。(ルカ4:40)

主なる神様は、私たちの医者です。私たちの傷や痛みに優しく手を伸ばして触れ、癒やしてくださいます。しかも、主イエスは「一人一人に手を置いて癒やされた」といいます。一人ひとり、というこの言葉はなんと慰めに満ちていることでしょう。主イエスは私たちを十把一絡げに扱うのではなく、一人ひとりに手を置いてくださる。私たちの声に耳を傾け、痛みを知り、この私をいやしてくださるお方です。
そうは言っても、いくら祈っても癒やされない、私のこの痛みを神さまは癒やしてくださらない、そういう経験もしばしばです。どうしてなのか。なぜ神さまは私を癒やしてくださらないのか。ある人は、それはあなたの悔い改めが足りないからだと言います。あるいはあなたが癒やされないのは、それが神さまの御心だからだと言います。そのような言葉はまったく間違っています。間違っているどころか、甚だ不遜です。誰が神さまに成り代わってそのようなことを言っていいのでしょうか?人に対する神さまの御心を騙ることなんて、私たちには許されていません。
それでは、なぜ癒やされないことが起こりうるのか?それは私たちには分からない。ただ一つ言えることは、主イエス御自身が誰よりも痛みを知り、病を知り、悲しみを知っておられる方だということです。イザヤ書第53章によれば、イエスは「多くの痛みを負い、病を知っている」、しかも「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった」のです。それなのに「私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と」。この方が私たちの罪や咎をすべて背負ってくださったから、私たちは罪ゆるされ、生きることができたのです。だから、主イエス・キリストこそが私たちの医者なのです。
イエス・キリストという医者は破格の医者です。私たちを癒やすために私たちの病を負い、罪を背負ってくださいました。私たちは、今もなお肉体や心の痛み、苦しみを負わなければならないかもしれません。それはキリストの苦しみの欠けたところを補う痛みであり、苦しみです。キリストにあって、私たちの痛みには意味があるのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...