私は地では旅人です。(詩編119:19)
ですから、自分がどう歩いているか、こまかく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵ある者として、機会を十分に生かしなさい。(エフェソ5:15~16)
今日の旧約聖書と新約聖書は、とても面白い組み合わせだと思います。私は地では旅人。旅人には旅人としての歩き方がある、と言うのです。それは「知恵のない者としてではなく、知恵ある者として、機会を十分に生かす」という歩き方です。
旅の一つの醍醐味は、予期せぬ出来事だと思います。私はあまり予定を立てないで知らない町を歩くのが好きです。何年か前にブラジルに行ったときのこと。日本への帰り道だったと思いますが、飛行機の乗り継ぎのために米国の空港で長い時間待たされたことがありました。せっかくなので町に出てみました。公園に行ったり、町の様子を眺めたりして過ごし、インターネットでどういう町なのかを調べてみると、キング牧師にゆかりのある教会があることが分かり、そこまで行ってみることにしました。キング牧師の父親がかつて牧師として仕えていた教会で、若き日のキング牧師もその教会の副牧師を務めたのだそうです。簡単なミュージアムがあって、思わぬかたちで尊敬するキング牧師の足跡をたどることができました。旅の途上での一つの出会いだと思います。
旅人としての歩き方。知恵を使って、機会を十分に生かす。それは一つの言い方をすれば、出会いの機会を逃さないということではないでしょうか。旅では思わぬ出来事に遭遇するし、思ってもみなかった人と出会います。出会いは神さまからかけがえのないプレゼントです。人との出会いを通じて、思ってもみなかった出来事との遭遇を通じて、私たちは新し思いをもって神様と出会い、より深く神さまと交わることができます。
この出会いに気づくためには知恵が必要です。神さまが起こす新しい出来事に開かれた柔らかい心が必要です。私たちを新しい世界へ導く神さまの「時」が、私たちの前にも開かれている。それは時には嬉しい出会いばかりではなくて、歓迎したくないような出会いもあります。しかしそういう厭なことからでも神さまはすばらしい世界を開くことがおできになります。神さまを信頼する知恵が必要です。新しい出会いを主にあって期待する知恵が出会いの喜びを広げます。今日もお一人おひとりの旅路に、神さまの祝福がありますように。
ですから、自分がどう歩いているか、こまかく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵ある者として、機会を十分に生かしなさい。(エフェソ5:15~16)
今日の旧約聖書と新約聖書は、とても面白い組み合わせだと思います。私は地では旅人。旅人には旅人としての歩き方がある、と言うのです。それは「知恵のない者としてではなく、知恵ある者として、機会を十分に生かす」という歩き方です。
旅の一つの醍醐味は、予期せぬ出来事だと思います。私はあまり予定を立てないで知らない町を歩くのが好きです。何年か前にブラジルに行ったときのこと。日本への帰り道だったと思いますが、飛行機の乗り継ぎのために米国の空港で長い時間待たされたことがありました。せっかくなので町に出てみました。公園に行ったり、町の様子を眺めたりして過ごし、インターネットでどういう町なのかを調べてみると、キング牧師にゆかりのある教会があることが分かり、そこまで行ってみることにしました。キング牧師の父親がかつて牧師として仕えていた教会で、若き日のキング牧師もその教会の副牧師を務めたのだそうです。簡単なミュージアムがあって、思わぬかたちで尊敬するキング牧師の足跡をたどることができました。旅の途上での一つの出会いだと思います。
旅人としての歩き方。知恵を使って、機会を十分に生かす。それは一つの言い方をすれば、出会いの機会を逃さないということではないでしょうか。旅では思わぬ出来事に遭遇するし、思ってもみなかった人と出会います。出会いは神さまからかけがえのないプレゼントです。人との出会いを通じて、思ってもみなかった出来事との遭遇を通じて、私たちは新し思いをもって神様と出会い、より深く神さまと交わることができます。
この出会いに気づくためには知恵が必要です。神さまが起こす新しい出来事に開かれた柔らかい心が必要です。私たちを新しい世界へ導く神さまの「時」が、私たちの前にも開かれている。それは時には嬉しい出会いばかりではなくて、歓迎したくないような出会いもあります。しかしそういう厭なことからでも神さまはすばらしい世界を開くことがおできになります。神さまを信頼する知恵が必要です。新しい出会いを主にあって期待する知恵が出会いの喜びを広げます。今日もお一人おひとりの旅路に、神さまの祝福がありますように。