2021年12月18日土曜日

2021年12月18日の聖句

神は彼らを男と女に創造され、祝福し、彼らに「人」という名前を与えられた。(創世記5:2)
神があなたがたに、憐れみと平和と愛とを豊かに与えられますように。(ユダ2)

神さまが私たちに人間を造ってくださったとき、神さまは私たちを祝福なさいました。これは、私たち一人ひとりの命を与えたときのことでもあります。私たちは、その生の初めの時から神の祝福の中に存在している。これが私たちの存在の根源的な事実です。
私も、神の祝福の中に生かされている。この事実を今日、新しい思いをもって受け入れてください。私も祝福されている!
「神があなたがたに、憐れみと平和と愛とを豊かに与えられますように。」私たちを今日一日の新しい命に送り出す祝福の言葉です。私たちは、神の憐れみと平和と豊かな愛の中に生かされています。そうは見えない現実が自分を取り囲んでいると思われるかも知れません。しかし、どうぞ信じてください。私も根源的な神の祝福の中に生かされているのだ、と。神の憐れみによって、今日私は生きている。神との平和な関わりの中に、私は今日生きている。クリスマスにキリストがお生まれになったということがその証拠です。神の愛の中に、私は今日生きている。キリストがあなたのために十字架にかけられたことがその確かなしるしです。神さまの憐れみは、平和は、愛は、どのようなときにも決して変わることがありません。無くなってしまうことが決してないのです。
神さまは、ご自分がお造りになった者たちを祝福して、「人」と名付けた、と聖書は言います。古代のユダヤ社会では、名付けは、父親が子をわが子として認めるというしるしだったと聞いたことがあります。産まれた子をわが子として受け入れる。神さまは、私たちに「人」という名を付けた。私たちを受け入れてくださった。ご自分の子として。
人間の親はあまりにも不完全ですから、育児を放り投げてしまったり、子どもにとってよくない振る舞いをしてしまったり、親であることを自ら否定してしまうようなことも珍しくありません。どの親も多かれ少なかれ身に覚えがあるのではないか。しかし神という親はそうではない。私たちに向ける根源的な祝福を放棄するようなことは、決してなさらないのです。神の祝福が変更されることはない。神の憐れみも、平和も、愛も、今日もあなたを豊かに覆っています。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...