私の涙をあなたの革袋に蓄えてください。間違いなく、あなたはその涙を勘定に入れてくださいます。(詩編56:9)
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。(マタイ5:4)
「私の涙を革袋に蓄えてください。」喜びの涙ではありません。笑いの中で溢れる涙ではありません。悲しみの涙です。しかも、恐らく、誰も知らない涙です。人知れず、一人で流す涙。その涙を、主よ、あなただけは知っていてください。どうかあなただけは、私の涙を革袋に溜めて憶えていてください。どれだけ涙を流したのか、どれほど一人で泣いたのか。自分でだってもはや分からない。しかし、神さまだけはその涙の量を記録していてください。そう祈るのです。
「悲しむ者は幸いです。」この言葉は、主イエス・キリストにしか言うことのできない言葉です。しかしキリストであるからこそ、言うことのできる言葉です。私たちは、私たちの救い主のこの言葉を待ち焦がれていたのではないでしょうか。悲しむ私に「幸いだ」と祝福の言葉を向けてくださる救い主。悲しみに沈む私に光を照らしてくださる神さま。私たちが待ち望んでいた救い主、しかも私たちが願っていた以上のすばらしい救いをくださるのは、このお方です。
今も、世界中に悲しみが満ちています。戦争が起きています。自国の軍隊に命を狙われる人もいます。迫害のために難民になった人もいます。社会から忘れられた人々、無関心の犠牲になった人々がいます。悲しむ世界に、キリストは来てくださいました。そして、キリストは言われるのです。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」この「慰める」という言葉が私は大好きです。「隣で呼びかける」という字を書きます。キリストはどこかから高みの見物をしながら、あなた達は幸いだと言っているのではありません。悲しみに沈む世界の中に降りてきて、しかもその中で誰よりも低くなり、貧しく弱くなり、身を低くして、おっしゃるのです。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」キリストは言われます。私がここにいる、私が悲しむあなたの隣にいる。私がここで、あなたのために、決してなくなることのない祝福を語り続ける。「悲しむ者は幸いである!」
この方が、私たちの涙をご自分の革袋に溜める神です。この方が私たちの悲しみを誰よりも深く知っておられる方です。私の涙を集めるために、キリストはここにまで来てくださったのです。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。(マタイ5:4)
「私の涙を革袋に蓄えてください。」喜びの涙ではありません。笑いの中で溢れる涙ではありません。悲しみの涙です。しかも、恐らく、誰も知らない涙です。人知れず、一人で流す涙。その涙を、主よ、あなただけは知っていてください。どうかあなただけは、私の涙を革袋に溜めて憶えていてください。どれだけ涙を流したのか、どれほど一人で泣いたのか。自分でだってもはや分からない。しかし、神さまだけはその涙の量を記録していてください。そう祈るのです。
「悲しむ者は幸いです。」この言葉は、主イエス・キリストにしか言うことのできない言葉です。しかしキリストであるからこそ、言うことのできる言葉です。私たちは、私たちの救い主のこの言葉を待ち焦がれていたのではないでしょうか。悲しむ私に「幸いだ」と祝福の言葉を向けてくださる救い主。悲しみに沈む私に光を照らしてくださる神さま。私たちが待ち望んでいた救い主、しかも私たちが願っていた以上のすばらしい救いをくださるのは、このお方です。
今も、世界中に悲しみが満ちています。戦争が起きています。自国の軍隊に命を狙われる人もいます。迫害のために難民になった人もいます。社会から忘れられた人々、無関心の犠牲になった人々がいます。悲しむ世界に、キリストは来てくださいました。そして、キリストは言われるのです。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」この「慰める」という言葉が私は大好きです。「隣で呼びかける」という字を書きます。キリストはどこかから高みの見物をしながら、あなた達は幸いだと言っているのではありません。悲しみに沈む世界の中に降りてきて、しかもその中で誰よりも低くなり、貧しく弱くなり、身を低くして、おっしゃるのです。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」キリストは言われます。私がここにいる、私が悲しむあなたの隣にいる。私がここで、あなたのために、決してなくなることのない祝福を語り続ける。「悲しむ者は幸いである!」
この方が、私たちの涙をご自分の革袋に溜める神です。この方が私たちの悲しみを誰よりも深く知っておられる方です。私の涙を集めるために、キリストはここにまで来てくださったのです。