2022年3月22日火曜日

2022年3月22日の福音

これは主が設けられた日。主に向かって喜び、朗らかでいよう。(詩編118:24)
イエスは言った。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。わたしは今日、あなたの家を訪問することにしているから。」ザアカイは急いで降りてきて、喜んでイエスを迎えた。(ルカ19:5~6)

徴税人ザアカイ。主イエスが町に来たことを知って見に行きましたが、彼は背が低かったので、人混みの中で見えませんでした。誰も自分のために場所を譲ってはくれなかった。彼が町の中で嫌われていたことがありありと伝わってきます。実際に、ザアカイがこの後で主イエスを家に迎えたとき、人々はイエスが罪深い男の家に行ったと言って不平を漏らしました。「罪深い男」、ザアカイはそう呼ばれていました。面と向かって言いはしなかっただろうと思います。ザアカイは徴税人という権力者、世界最大の権力を持つローマという虎の威を借りている狐でしたから。そのようなわけで誰も彼のために場所を譲ってくれなかったので、ザアカイはイエスを一目見ようと木に登ったのです。その木の下をイエスが通り過ぎようとしたとき、ザアカイの世界が変わりました。
イエスは言った。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。わたしは今日、あなたの家を訪問することにしているから。」ザアカイは急いで降りてきて、喜んでイエスを迎えた。
木の下に来たイエスは、上を見上げて、ザアカイに声をかけました。ここで、イエスの方からザアカイに声をかけておられるということが、最大の福音です。ザアカイが孤独な心を抱えながら熱心に求道して、遂にイエスを見つけた、というのではありません。ザアカイはただイエスを眺めようとしただけです。イエスがザアカイを見つけ、声をおかけになりました。しかも、イエスは「今日、あなたの家に泊まらせてはくれないか」とは言わずに、「わたしは今日、あなたの家を訪問することにしているから」とおっしゃったのです。ザアカイを見つけたのが主イエスなら、声をかけたのも、ザアカイの家に行くことを決めたのも、すべて主イエスです。私たちも同じです。わたしがイエスを見いだしたのではない。わたしの方からイエスに弟子入り志願したのでもない。主イエスがわたしを見つけ、声をかけ、わたしのところを訪れてくださいました。福音が向こうからこっちへやって来たのです。それこそ、まさに「福音」です。
「これは主が設けられた日」。主ご自身が決め、主ご自身が設け、私たちを迎えてくださった日、福音の訪れの日。今日こそ、恵みの日。今日こそ、救いの日です。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...