2022年5月21日土曜日

2022年5月21日の聖句

金銭を愛する者は、それに満足することはない。
また富を愛する者は、それで得することはない。(コヘレト5:9)
食べるものと着るものがあれば、それで十分なはずです。しかし金持ちになろうとする人たちは、誘惑に陥り、多くの、愚かで有害な欲望に飲み込まれます。(1テモテ6:8~9)

お金は汚いもの、とは聖書は教えていません。人間が独りぼっちで自給自足をしたり、物々交換の原始的な社会できいるのでもなければ、お金は必ず必要です。お金がないと社会は成り立たないし、お金がなければ社会で生活することもできません。お金を汚いものというのは、現実離れしています。
しかし、生きるためにお金が必要なのか、お金のために生きているのかとでは事情は全然変わってくるのではないでしょうか。今日の二つの御言葉はそのことを教えているのだと思います。
「金銭を愛する者は、それに満足することはない。また富を愛する者は、それで得することはない。」「食べるものと着るものがあれば、それで十分なはずです。しかし金持ちになろうとする人たちは、誘惑に陥り、多くの、愚かで有害な欲望に飲み込まれます。」
この旧約聖書の御言葉にはハッとさせられます。金銭を愛する者は、それに満足することはない。金銭を目的として生きても、決して金銭に飽きることはないし、第一手段と目的があべこべで本末転倒です。本当は、食べるものと着るものがあればそれで十分。足ることを知る知恵を身に着けることが大切なのであって、貪欲は罪に直結しています。現代は社会構造が複雑になってしまったのでいろいろなものが必要なように見えますが、食べるものと着るもので足りることを知る聖書の知恵はまことに深いのではないでしょうか。
やはり、何と言っても私たちの模範は、この点においてもキリストご自身です。生まれた時には飼い葉桶に寝かされ、大工の家に育ち、罪人と言われてつまはじきにされた人、物乞いや病気の人の友になってくださいました。キリストは私たちのために貧しくなり、私たちのためにすべてを献げてくださいました。私たちはキリストが「貧しい者は幸いである」と言われた言葉を聞きました。私たちに必要なものは、すべて神さまが備えてくださいます。神の国とその義を求めて、今日一日の歩みを始めていきたいと願います。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...