2022年5月5日木曜日

2022年5月5日の聖句

わたし、主は義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。(イザヤ42:6)
キリスト・イエス、私たちの主にあって、私たちには神への自由に近づく術がある。(エフェソ3:12)

今日の新約聖書で「自由に」と翻訳されている言葉ですが、聖書協会共同訳では「確信をもって」、新共同訳では「大胆に」と訳されています。原語は「パレーシア」という単語で、いろいろな翻訳が苦心して訳語を当てていることからもわかるように、少し日本語にしにくい言葉であるように思います。辞書を引くと、自由に話すこと、恐れなく自由な自信、明るい勇気、大胆さ、確信、人目を引く身なり、などの語釈が書かれています。聖書は、私たちが神さまに向かって、大胆で、勇気を持って、自由に、近づくことができる、と言います。主イエスさまのお陰で!聖なる神さま、この天と地とをお造りになった方に、私たちはキリストにあって近づく自由さを与えられているのだ、と言うのです。
私たちの側から見ると大胆に、自由に近づくことができるということになりますが、これを神さまの側からご覧になると、どういうことになるのか。そのことを今日の旧約聖書の御言葉は伝えています。「わたし、主は義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。」主なる神さまが私たちを呼び出し、私たちの手を握ってくださる。神さまが呼んでくださった。それが「キリスト・イエス、私たちの主にあって」ということです。
礼拝は「招きの言葉」から始まります。神さまが私たちを招いてくださって、神さまに呼び出されて、私たちは神さまの御前に進み出ます。今日、私たちを新しい一日に呼び出してくださったのも、神さまです。それは私たちが今日という一日を神さまに献げて、神さまに栄光をお返しして、神さまを礼拝するためです。神さまの呼び声に答えて一日の歩みに出て行く時、私たちは本当に自由になって、神さまの御前にある祝福の中を生きていく。その事実のなかで、今日私たちはそれぞれの場所に神さまに招かれて生きていくのです。

2024年12月23日の聖句

私は自分の背きを知っています。罪は絶えず私の前にあります。(詩編51:5) 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9) クリスマスにお生まれになった救い主は「イエス」と名付けられました。主の天使...