2022年5月7日土曜日

2022年5月7日の聖句

ああ主よ、どうか救ってください。
ああ主よ、どうか栄えさせてください。(詩編118:25)
平和の神が、み心を行うため、すべての良いものをあなたがたに装備してくださるように。(ヘブライ13:20~21)

「すべての良いものをあなたがたに装備してくださるように」と、今日の新約聖書の御言葉は告げています。ぜひ実際に聖書を開いて読んでください。今日の新約聖書の御言葉は、ヘブライ人への手紙の最後に登場する祝福の言葉です。羊の大牧者の祝福などと呼ばれることもある御言葉です。私たちの礼拝では多くの場合、コリントの信徒への手紙二第13章13節の言葉をもって礼拝の最後の祝福の言葉として告げられています。それと並んで多く用いられる祝福の言葉が、この羊の大牧者の祝福です。
ここに、「すべての良いものをあなたがたに装備してくださるように」と言われている。「すべての良いもの」です。例えば、この羊の大牧者の祝福が礼拝で告げられて、家路の途中で交通事故に遭ってしまったら、どうなのでしょうか。その礼拝では祝福が足りなかったのでしょうか。「良いもの」とは到底考えられないことが私たちには起きます。それもすべて神さまの御心なのだと言えばその通りかも知れませんが、つらい目に遭っている人に他人がおいそれと言って良い言葉ではないと思います。例え正しくても、著しく思いやりを欠いた言葉になりかねません。
しかしそれでも、私たちには、神の祝福という現実を信じる信仰がやはり大切なのです。どのようなことがあろうとも、神は私を祝福してくださっている。この羊の大牧者の祝福は、冒頭で「私たちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が」といいます。主イエスは死者の中におられた。祝福に反する現実の中に主イエスは身を横たえてくださいました。その主イエスを引き上げられた平和の神の祝福が、私たちにも届けられています。陰府にまで降った方は、私たちが例えどこにいても祝福を届けることがおできになる。
「ああ主よ、どうか救ってください。」私たちも、同じように祈ります。主イエスさまに救いを求め、助けを求めて祈ります。そして、祈る者は知っています。主イエスは私のために死んでくださったのだ、と。私を祝福するために、この方が死者の中に沈み込んだのだと。そして、その方を引き上げられた平和の神が、私を祝福してくださっているのだ、と。この祝福の事実はどのような時にも揺らぐことがないのです。

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...