2022年6月4日土曜日

2022年6月4日の聖句

主は、昼は、正しい道に彼らを導くために雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすために火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。(出13:21)
かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。(ローマ15:4)

荒れ野を旅する神の民のために、主なる神さまは昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって照らしてくださいました。神の民の進むべき道を神が示し、導き、明るくしてくださった。そう聞くと、私などはうらやましいなと思ってしまいます。そうやって神さまが導いてくださるなら、何と幸いなことでしょう。何よりも分かりやすいです。
しかし実際に聖書を開いて荒れ野の旅路を見てみると、そんなに簡単なものではありませんでした。神を信じ、神の導きに従って生きるべき場所は、他のどこでもなく<荒れ野>です。目に見える場所に飲み水があるわけでもなく、食べ物は神が与えてくださるマナを信頼する。敵の前を通ることもあるし、神の言葉に従って生きる決断の連続です。信仰によって荒れ野を生きた。何も考えずに、依存的に、雲の柱や火の柱についていくというのではなくて、そこではいつも信仰者としての決断があった。私の「うらやましい」という感想はどうも呑気すぎたようです。
そして、このような旅をしているということは私たちも同じです。神さまは、今私たちを導くために雲の柱や火の柱を使うことはなさっていません。神さまは、私たちに聖書を与えてくださいました。私たちは聖書に記された神さまの御言葉によって、この世界という荒れ野を旅しているのです。私たちは聖書の御言葉に従って荒れ野を旅する神の民です。「かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。」神さまが私たちに与えてくださる聖書の御言葉は、私たちに希望を得させます。聖書が語りかけるのが主イエス・キリストだからです。キリストにあって、私たちは希望を抱き、この地上を歩まれたキリストともに、私たちの今の旅路もあるのだということを知らせれます。聖書は羅針盤となり、聖書を通して神さまは私たちの道を導き、照らしてくださいます。
今日も主イエス・キリストの恵みと祝福がありますように、心から祈っています。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...