2022年6月5日日曜日

2022年6月5日の聖句

私の身と心が朽ちても、神よ、あなたは私の心の慰め、私の受ける分。(詩編73:26)
霊の初穂を持っている私たち自身も、子にしていただくこと、つまり、体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいます。私たちは、この希望のうちに救われているからです。(ローマ8:23~24)

私たちは人間なので、いずれ必ず死にます。この肉体も、心も。聖書は、肉体が滅んでも霊や魂や心は永遠だ、とは言っていません。私たちは造られた者として、身も心もやがて必ず終わりの時を迎える。永遠なのは神さまだけです。
しかし、それでも神が私たちの心の慰めでいてくださる、神様ご自身が私の受ける分ですと信じ告白できるのは、なぜなのでしょうか。
「霊の初穂を持っている私たち自身も、子にしていただくこと、つまり、体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいます」と、使徒パウロは手紙に書きました。私たちは神の子として頂き、この体が贖われ、神のものとされるのだ、と言うのです。そしてそのために、私たちは「霊の初穂」を頂いている、と言っています。どういうことなのでしょうか。
霊の初穂、それは2000年前のペンテコステの日に始まった出来事を指しています。神の霊、聖霊がキリストの弟子たちに降った。この霊は彼らに福音の言葉をあらゆる国の言葉で語らせました。そしてそれだけではなく、彼らに祈りの言葉を与え、キリストの言葉を思い起こさせ、真理を悟らせ、自由を与えました。私たちにも、あの日、弟子たちに降ったのと同じ聖霊が降っています。そのことをパウロは先ほどの箇所の少し前のところでこのように言っています。
「神の霊に導かれている者は、誰でも神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、子としてくださる霊を受けたのです。この霊によって私たちは『アッバ、父よ』と呼のです。」
私たちが神さまを「父よ」とお呼びして祈っているという事実が、もう既に、私たちが神の子とされており、私たちを神の子とする聖霊にあずかっている証拠だ、とパウロは言います。私たちが祈りの言葉を口にしているという事実が、私たちが頂いている聖霊の働きなのです。そして、これこそが霊の初穂です。
ですから、私たちは肉体も心も霊も魂も何もかもやがて滅び行くものですが、しかしそんな私たちが神を「父よ」とお呼びする神の子にして頂いて、このお方の救いを待ち望んで生きている。その事実に、私たちを死から救う神の御業は既に始まっているのです。
ペンテコステ、おめでとうございます。

2024年4月19日の聖句

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