2022年9月7日水曜日

2022年9月7日の聖句

万軍の主よ、あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。(詩編84:2)
二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。(マタイ18:20)

今日、この二つの御言葉が一緒に与えられているというのは、すばらしいことだと思います。主なる神さまのお住まい。その場所を慕い求め、憧れるような旧約聖書の言葉が書かれています。恐らく具体的には、旧約の時代ですからエルサレムの神殿ことを思っていたのでしょう。神殿、それは皆が集まって礼拝を献げ、祈りを捧げるための場所です。
この神殿はソロモンが建築しました。何年もかけて神殿を造り、これを神さまに献げるときに彼は祈りました。「神は果たして地上に住まわれるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。」「夜も昼も、この神殿に目を向けてください。ここは、あなたが、『そこに私の名を置く』と仰せになった所です。あなたの僕がこの所に向かって献げる祈りを聞き入れてください」(列王記上8:27,29)。
神さまを「神殿」という建物の中に閉じ込めることはできません。どんなに立派な像でも、神秘的な祭具でも、樹齢が高い木や大きな岩であっても、物を神さまに見立てて人間の手に収めることなどできません。神さまがこの天も地もお造りになったのであって、人間が神を造ったのではない。そうであれば、私たちが神さまに何か適当な家をあつらえることなんて不可能です。しかし、この神殿は神さまがご自分の名を置くと言ってくださった場所です。ソロモンはそのように祈ります。ですから、どうかこの所での、あるいはこの所に向かう私たちの祈りにあなたの耳を傾けてください。
このソロモンの祈りも深い信仰から生まれており、そのことに驚くばかりですが、しかし主イエスはもっとはっきりとおっしゃいました。「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」神さまはある特定の場所をご自分の住まいとなさるのではなく、神を信じ、共に祈る者の交わりの中におられる、と。神は私たちの間にいてくださる。私たち神を信じて祈る者の間にご自身の御名前を置いてくださる。
ですから、私たちは独りぼっちで祈るのではなく、心を合わせて共に祈ります。一つの思いになって、一つのキリストの体として神を礼拝します。今日一日の私たちの歩みも、教会というキリストの体の一部分としての一日です。私たちは、孤独ではないのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...