2022年9月6日火曜日

2022年9月6日の聖句

憐れみと赦しは私たちの神、主にあります。(ダニエル9:9)
徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄ってきた。(ルカ15:1)

主イエスさまの側に近づく人々。彼らは徴税人や罪人でした。徴税人は租税の仕事をしていました。しかし今の税務署の職員とはずいぶん違う存在でした。今でも税を集める人は憎まれ役ではありますが、この時代の調整人は不正を働くことが半ば公然と認められていた。現代のイメージでいえば、ヤクザか何かに近いと思います。みかじめ料のように、どんなに不当でも彼らの言うままに従うしかない。ですから徴税人は町一番の鼻つまみ者です。それに、ここには「罪人」と呼ばれる人たちもいます。何らかの理由で律法を守って生きることのできない人たち。具体的にどういう人なのかは書かれていません。恐らく、病人や娼婦たちも含まれていたのではないかと思います。「罪人」と呼ばれる人たちは被差別民、あるいは賤民と見なされていました。
しかし、主イエスは徴税人や罪人のところへ行き、彼らと食卓を囲み、親しく福音を語りかけました。だから、彼らは主イエスのもとへ近寄ってきます。イエスの話を聞くために、イエスの口から語られる福音を聞くために。ここにいる徴税人や罪人たちは、私たちのことです。私たちもキリストの口から語られる御言葉を聞くために、主の御側に近寄ります。罪の赦しを告げるキリストの福音を聞かなくては、私たちは生きることができないからです。
「憐れみと赦しは私たちの神、主にあります。」主イエス・キリスト、このお方こそ、神の憐れみと赦しそのものです。イエスさまの側に行けば神さまの憐れみと赦しについて聞けるというのではなくて、キリストこそが神の憐れみと赦しそのものです。私たちはキリストと出会い、このお方によって神の愛を知るのです。
ですから今日、新しい思いをもってキリストに近寄りましょう。このお方の御言葉に耳を傾け、キリストの言葉を思い起こしながら一日を過ごしましょう。ここにこそ、私たちを救う神の愛があるのです。

2024年12月26日の聖句

私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...