2022年11月21日月曜日

2022年11月21日の聖句

私たちは神の前にへりくだり、行く道の無事を祈った。(エズラ8:21)
私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハネ14:6)

今日の旧約聖書が伝えているのは、エズラの旅の一場面です。旅の無事のために祈るひとりの信仰者。私たちも、今日一日の旅路の無事を神様に祈りましょう。私たちが行く道を神様が守ってくださり、また、私たちが今日出会う人々に神様の祝福を届けることができますように、と。
この祈りのためにエズラは神様の前にへりくだった、と書かれています。今日一日は、私の力や運によって成り立つのではなく、神様が守ってくださることでなすことができる、という信仰告白の姿勢です。私たちが生きる今日という日を、神様の御手の中においてください、と私たちも祈ります。
私たちは、今日この日に、主イエス・キリストという道を進んで行きたいと願っています。キリストが進まれた道であり、キリストご自身である道。父なる神様の御許へ続く道。真理の道です。いのちの道です。キリストが歩まれたように私も歩ませてくださいと私たちは祈る。私たちは自分の旅路のために祈るとき、ただ私が自分の行きたいところに無事に行けますようにとか、自分ひとりが安全でありますようにと祈るのではなく、キリストの道を歩ませてください、と祈ります。キリストが私にしてくださったように、私も共のためにすることができますように、と祈ります。キリストご自身が道だからです。キリストの真理によって、いのちを与えられたからです。
私たちの行くべき道の道標は、そのように考えると、主イエスさまが教えてくださった主の祈りなのではないでしょうか。私たちはこの祈りを口ずさみながら、その祈りの促す道に進んでいきます。キリストの歩みをこの私の歩みのリズムにするために、キリストと同じ言葉を口ずさみながら私も歩んでいきます。私たちはへりくだって、主イエスさまの祈りを口にしつつ、今日という日の旅を歩んでいきます。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...