2022年11月25日金曜日

2022年11月25日の聖句

主は太陽を昼に与えて光とし、月と星を夜に与えて光とする。この方は海を動かして波は荒れ狂う。(エレミヤ31:35)
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、この神からすべてのものは発し、この神に私たちはいたるからです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、この主によってすべてのものは存在し、この主によって私たちも存在するからです。(1コリント8:6)

キリストが私たちにご自分の父として紹介してくださった神は、唯一の神だと聖書は訴えかけます。「この神からすべてのものは発し、この神に私たちはいたる」と言っています。これは、考えてみると、驚くべき言葉ではないでしょうか。
聖書は、世界が偶然できたとは言いません。たまたま始まったとも言いません。すべては神様から始まった。そうであるならば、この世界には意味があるはずです。そして、神様から「すべてのもの」が発した、と言っています。古代世界には、たくさんの創造神話のようなものがありました。日本には、日本書紀の天地開闢物語が伝えられている。これは典型的な「神話」の例です。例えば、天の橋に立って矛で混沌をかき混ぜて日本列島を造ったとされるイザナギとイザナミは、神武天皇の七代先祖とされているそうです。神々が作った国に、神の子孫たる王がいる。つまり、天地開闢物語は支配者の権威付けのための物語です。ところが、聖書は天地のすべてを神がお造りになったと言います。その上、神様と王は、変な言い方ですが、他人です。神の存在は王の権威付けとしては機能しない。聖書はそれを断固拒否します。むしろ王の罪を、そして王を含めたあらゆる人間の罪を赤裸々に暴露します。しかもその上で、すべてのものは神から発し、神にいたると言う。神がすべてをお造りになり、やがて罪から救って完成へと至らしめる。壮大な救いの物語に、すべての人や世界が招かれている。
私たちには、唯一の主なるイエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの神であり、私たちの救いです。すべての人の救いです。すべての人を愛する神の愛そのものでいらっしゃいます。太陽も月も、神に光を与えられました。太陽や月は、古代社会では神々と信じられ、崇められていました。しかし本当のところ、それも神に与えられた光です。キリストが父とお呼びになったお方こそが唯一の神。この方こそ、私たちがどんなに深い罪の暗闇に沈んでいても光を照らしてくださる救いの神、絶対的な愛の神でいらっしゃるのです。
キリストに、賛美。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...