主の前を私は歩む。生ける者の地で。(詩編116:9)
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。神にとっては、すべての者が生きているのです。(ルカ20:38)
詩編第139編に、このような言葉があります。
「天に登ろうとも、あなたはそこにおられ
陰府に身を横たえようともあなたはそこにおられます。」
「闇はあなたには闇とならず
夜も昼のように光り輝く
闇も光の変わるところがない。」
それは、光も闇も、神様に造られたものだからです。天も陰府も、神様の御手の内にあります。神様がおられない場所はない。私たちの生きることも死ぬことも、すべて神様の御手の内にあります。
だから、主イエスさまは宣言なさいます。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」と。私たちの生も死も、すべて神様の御手の内にあるからです。私たちにとっては死は滅びです。しかし、神様は私たちが陰府に降ってもそこにおられ、私たちが闇に沈んでも、その闇の中にもおられます。神様に比べれば、私たちが闇だと思っているものもなお明るい。生も死も、光も闇も、神様の御手の中にあるから。
私たちは神様を呼びます。神様は私たちを生きる者としてくださいます。私たちの死を超えて、私たちは神様にあって生きる。生きる者として神様を呼ぶ。その私たちに、神様は必ず御顔を向けてくださいます。
「主の前を私は歩む。生ける者の地で。」この「主の前を歩む」というのが最も大事なことです。主の御前で、私たちは生きる者になる。私たちは主の御前に生かされています。私たちが死の床に就き陰府に赴くときにもなお、キリストは私たちと共にいて命をくださる。キリストが私たちを起こしてくださいます。
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。神にとっては、すべての者が生きているのです。(ルカ20:38)
詩編第139編に、このような言葉があります。
「天に登ろうとも、あなたはそこにおられ
陰府に身を横たえようともあなたはそこにおられます。」
「闇はあなたには闇とならず
夜も昼のように光り輝く
闇も光の変わるところがない。」
それは、光も闇も、神様に造られたものだからです。天も陰府も、神様の御手の内にあります。神様がおられない場所はない。私たちの生きることも死ぬことも、すべて神様の御手の内にあります。
だから、主イエスさまは宣言なさいます。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」と。私たちの生も死も、すべて神様の御手の内にあるからです。私たちにとっては死は滅びです。しかし、神様は私たちが陰府に降ってもそこにおられ、私たちが闇に沈んでも、その闇の中にもおられます。神様に比べれば、私たちが闇だと思っているものもなお明るい。生も死も、光も闇も、神様の御手の中にあるから。
私たちは神様を呼びます。神様は私たちを生きる者としてくださいます。私たちの死を超えて、私たちは神様にあって生きる。生きる者として神様を呼ぶ。その私たちに、神様は必ず御顔を向けてくださいます。
「主の前を私は歩む。生ける者の地で。」この「主の前を歩む」というのが最も大事なことです。主の御前で、私たちは生きる者になる。私たちは主の御前に生かされています。私たちが死の床に就き陰府に赴くときにもなお、キリストは私たちと共にいて命をくださる。キリストが私たちを起こしてくださいます。