2022年12月27日火曜日

2022年12月27日の聖句

かつて、引き抜き、壊すために彼らを見張っていたが、
同じように、建て、植えるために彼らを見張るーー主の仰せ。(エレミヤ31:28)
それゆえ、きょうだいたち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待ちます。(ヤコブ5:7)

かつて、神さまは私たちを引き抜き、壊すために見張っておられた。私たちの罪を裁いて滅ぼすため、ということでしょう。これ以上ない厳しい言葉ですが、よく分かることでもあります。私たちの社会は、もう今にも壊れてしまうところまで来ています。私たち社会を構成している人間の罪のために。欲望を肯定すること、消費すること、所有することなどを全面的に良しとしてきた私たちは、自分たちの欲望にもう押し潰されてしまう。神さまが留めてくださらなければ、どうしたって保ちようがない。神が裁きを決断なさるというのは、そのようなこと一つを考えても、必然のように思います。
ところが、聖書はそんな私たちを罪と滅びから救ってくださる神さまの話を私たちに聞かせます。「かつて、引き抜き、壊すために彼らを見張っていたが、同じように、建て、植えるために彼らを見張るーー主の仰せ。」かつては私たちを壊すために見張っておられた神さまは、今や私たちを建て、植えるために見張っておられる、と言うのです。聖書が私たちに伝える神さまの御心は、私たちを救うことであり、私たちがどんどん自滅していく罪の中に沈み込んでいくことではなく、神さまの愛の中に帰ることを待っていてくださる、というのです。
神さまは私たちのためにどんなに深く忍耐してくださったことでしょう。私たちの罪をどんなに忍んでくださったことでしょう。自滅していく私たち、裁かれ滅ぼされるべき私たちを、しかし神さまは忍耐し、救うことを決断し、私たちのためにご自分の御子を与えてくださったのです。
神さまの忍耐が、私たちの生き方を定めます。「それゆえ、きょうだいたち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待ちます。」私たちは今の労苦や苦労が耐えられなくなってしまいがちです。忍耐することが下手です。そんなときは、私のための神さまの忍耐を思い出しましょう。そして私たちの忍耐には、希望となる救いの約束があることを思い出しましょう。大地の実りを収穫するような喜びが、神さまの御許に準備されているのです。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...