2023年5月21日日曜日

2023年5月21日の聖句

あなたの助けで再び私を喜ばせ、
前向きな精神で私を装い備えさせてください。(詩編51:14)
あなたがたの中に苦しんでいる人があれば、祈りなさい。喜んでいる人があれば、賛美の歌をうたいなさい。(ヤコブの手紙5:13)

今日の旧約聖書の御言葉は、ドイツ語訳の聖書を日本語に翻訳したもののようです。日本語版の「日々の聖句」の編集者の判断で、聖書協会共同訳や新共同訳、新改訳、そしてドイツ語からの翻訳など、そのときそのときに最もふさわしい訳文を採用しているそうです。今日の箇所ではドイツ語からの翻訳が選ばれた。とても興味深い言葉が登場しています。「前向きな精神で私を装い備えさせてください」。前向きな精神という言葉に興味をそそられます。
聖書協会共同訳では、同じ文章をずいぶん違うように訳しています。「導きの霊で私を支えてください。」この「導きの霊」をドイツ語訳では「前向きな精神」と訳していたのでしょう。面白いと思います。そして同時に明らかになるのは、この「前向きな精神」というのは、私たちの気の持ちようという意味ではなくて、神様ご自身が下さる導きの霊、つまり聖霊に由来する前向き、という意味だということです。もしかしたらこのような意訳も許される知れません。「神様にあって楽観的にならせてください。」
神様は私たちを助け、喜びを与えてくださいます。しかしこの詩編第51編は、深い悔い改めの詩編です。ダビデ王が姦通と殺人という、殆ど究極的に重い罪を犯したときの祈りです。喜びどころではない。絶望しかないし、周囲の人々にも深い失望を与えた事件でした。そういう時に喜びだとか前向きだとか、そういう言葉はとてもそぐいません。
私たちには、とても喜びようのない時があります。喜ぶことが許されず、あるいは自分の心の中からも喜びなんて生まれようがないときがある。しかし、神様は最低最悪の罪人を愛するためにキリストをお送りくださいました。この究極の神の愛の事実が私たちを新しくし、消えることのない喜びを与えるのです。決して表面的ではない前向きさ、楽観は、神様以外の何ものにも与えることができない。そういう確かな喜びを、神様は深い憐れみの中でお与えくださいます。それを信じ、キリストを仰いで新しい一週間の初めの朝へと進んでいきましょう。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...