2024年2月16日金曜日

2024年2月16日の聖句

人が死すべき定めにあることを胸に刻めるように、私たちを諭してください。そのようにしてこそ、私たちは知恵あるものとなるのです。(詩編90:12)
生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。(ローマ14:8)

代々の教会が語り継いできた一つの合い言葉に「あなたの死を覚えよ」というものがあります。特に中世の修道院で語り合われていた、と聞きます。「あなたの死を覚えよ。」それは、キリスト者のとても大事な人生観であると思います。
「人が死すべき定めにあることを胸に刻めるように、私たちを諭してください。そのようにしてこそ、私たちは知恵あるものとなるのです。」旧約の時代から既にそのように語られていました。その真剣さは私たちと同じです。人は誰もが必ず死ぬ。その事実を覚え、心に刻み、常に思い起こしつつ生きるから、私たちは知恵あるものとして生きうるのだ、と言う。しかもそれを不誠実に言ったり、諦めの思いで口にするのではありません。神が定めてくださった私の命には、神がお定めになった最後が来るのだと、神を信頼しつつ告白している。だから、私たちキリスト者の死は、平安につながっています。
神の子イエス・キリストは私たちと同じ人間になってくださいました。私たちと同じように死なれた。そして、復活した。だから、もはや私たちにとっての死の意味が変わりました。もはや死は私たちがよりよき生に生まれ出るための通路にすぎない。私たちは死んで、そして生きる。キリストのように。私たちは死を超える希望をもっている。
「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」生きているときにも、死ぬときにも、私たちは主のもの。主イエス・キリストの愛の中に、私たちの生も死も包み込まれているのです。

2026年1月30日の聖句

主は民に答えられた。 「私は穀物と新しいぶどう酒 また新しいオリーブ油を送り あなたがたを満ち足らせる。」(ヨエル書2:19) イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、感謝し、パンを裂き、それを弟子たちに分配するようにと渡され、二匹の魚も皆にお分けになった。人々は皆、食べて満腹した。...