2024年3月12日火曜日

2024年3月12日の聖句

隣人が、あなたのそばで安心して住んでいるとき、その人に悪を企むな。(箴言3:29)
(パウロの手紙)そのように、わたしたちはあなたがたを心置きなく感じていますし、神の福音についてだけではなく、自分たちの命をも分かち与えるつもりでいるのです。なにしろ、私たちはあなたがたのことを愛してしまったのですから。(1テサロニケ2:8)

今日の旧約聖書の御言葉は、本当にそうだなと思わされます。「隣人が、あなたのそばで安心して住んでいるとき、その人に悪を企むな。」安心して生きている人に悪を企むというのは、本当にしてはいけないこと。しかし、現に起こりうることでもあると思います。隣人への悪意や嫉妬に駆られて、静かな怒りを湛えながら厭な気持ちにさせてやりたいと思ってしまうことも起こってしまいます。恥ずかしいことです。そういう心に支配されてしまいそうなとき、その相手と距離をとって、これ以上自分の悪意がエスカレートしないようにする、というのも一つの知恵であるのかも知れません。顔を見ないように、相手のことを意識しないで済むように一定の距離を保つ。
しかし聖書にはやはり驚くべき言葉がたくさんあります。聖書は、本当に愛することに積極的だと思います。今朝私たちに与えられている新約聖書の御言葉は、使徒パウロの書いた手紙の一節です。パウロは情熱を込めて言います。「なにしろ、私たちはあなたがたのことを愛してしまったのですから」と。愛してしまったあなたたちのために、、私は自分の命さえも分かち与えるつもりでいます、と言います。愛することに本当に積極的です。相手に身を乗り出すようにして自分を献げています。
この御言葉を読むと、自分はなんと限定的で、愛することにケチなのかと改めて思います。愛するべき相手を限定し、狭め、自分を守ろうとしている。罪というのは、こういうところに現れるのだと思います。抽象的な問題ではなくて、具体的な目に見える相手を愛し得ない自分の現実に罪が見えてくる。キリストがなおそのような私を愛してくださったことを改めて心に刻みます。主イエス・キリストを愛し、キリストに救いを求めて祈りつつ、今日の日を歩んでいきたいと願います。私にもまた、隣人を愛する愛をくださいと祈りつつ。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...