2024年3月13日水曜日

2024年3月13日の聖句

(主の言葉)「私がアブラハムを選んだのは、彼がその子らとその後に続く家族の者たちに命じて、彼らが正義と公正を行い、主の道を守るようにするためである。」(創世記18:19)
私たちは、律法はふさわしく用いるならば良いものであると知っています。(1テモテ1:8)

聖書を長く読み、親しんでいると、律法に対する悪いイメージが付いてきます。律法主義とか、ファリサイ派という言葉とセットになって。新約聖書を知っている私たちには律法は必要ない。必要だとしても、自分の罪を明らかにするという意味であって、律法に従って生きるということは信仰と関わりのないことだ、という思いさえ生まれてきかねません。ところが、そうではないと聖書は言います。「私たちは、律法はふさわしく用いるならば良いものであると知っています。」
それでは、律法のふさわしい用い方というのは一体何のことでしょうか。今日の旧約聖書ではアブラハムが登場しています。アブラハムの物語は、まず初めに神がアブラハムに声をおかけになったというところから始まっています。アブラハムを新しい旅路に神が連れ出した。それに応えてアブラハムは生まれ故郷、父の家から離れて旅を始めました。まず最初に神さまの招きがあり、アブラハムはそれに応えた。その後も、聖書はずっとそうです。まず最初に神がヘブライ人たちをエジプトから救いだしてくださり、彼らはそれに応えて神を礼拝し、また、与えられた律法に従い始めました。神がアブラハムや彼の子孫に公正と正義を行うようにお命じになったのは、神がアブラハムと出会い、憐れみをかけ、神の国を目指す旅へと連れ出してくださった後のことです。
律法は、神の愛を頂いた者の生きるべき指針です。方位磁針のように、私たちの行くべき道を示すのが律法。私たちの神の国を目指す旅路のガイドです。神の愛への、私たちの愛の応答の道標。それが律法の正しい用い方です。
今日、私たちの行くべき道を指し示すのは、神が与えてくださった律法の言葉です。神を愛することを、隣人を愛することを私たちに告げる律法の言葉が、私たちの行くべき道を照らしています。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...