あなたがたは、あなたがたの神、主の子らである。(申命記14:1)
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。(ガラテヤ3:26)
新約聖書が書かれた時代、普通の社会の中で「神の子」と呼ばれていたのは、ローマの皇帝だったようです。ところが聖書はそれとは違うことを言います。「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。」あなたがたはみな、と言います。ある特別な人、普通とは異なる存在、この世の権力者。そういう人を指して「神の子」という称号を与えるのではありません。「あなたがたはみな」です。神を信じる者は誰もが神の子です。あなたも、私も。ここに聖書の特別さがあるのです。
いやしかし、この世界にはただ一人のまことの神の子がおられます。主イエス・キリストこそまことの神の子。神の独り子。ところが、そのお方が私たちに口伝えに教えてくださった祈りは「我らの父よ」という祈りです。主イエスは、私たちも主と同じように、口まねをして「我らの父よ」と祈るように教えてくださいました。何と言うことでしょう。主イエス・キリストは神の子でいらっしゃることをご自分で独占なさらずに、私たちのことをも神の子にしてくださったのです。
私は神の子。「あなたがたは、あなたがたの神、主の子らである。」これが私たちのアイデンティティです。神である主を「父」とお呼びし、主イエス・キリストを仰ぐ。そこに本当の私らしさがある。今日も神をお呼びして祈る一日でありますように。
あなたの今日の祈りの道造りにキリストの祝福がありますように。
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。(ガラテヤ3:26)
新約聖書が書かれた時代、普通の社会の中で「神の子」と呼ばれていたのは、ローマの皇帝だったようです。ところが聖書はそれとは違うことを言います。「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。」あなたがたはみな、と言います。ある特別な人、普通とは異なる存在、この世の権力者。そういう人を指して「神の子」という称号を与えるのではありません。「あなたがたはみな」です。神を信じる者は誰もが神の子です。あなたも、私も。ここに聖書の特別さがあるのです。
いやしかし、この世界にはただ一人のまことの神の子がおられます。主イエス・キリストこそまことの神の子。神の独り子。ところが、そのお方が私たちに口伝えに教えてくださった祈りは「我らの父よ」という祈りです。主イエスは、私たちも主と同じように、口まねをして「我らの父よ」と祈るように教えてくださいました。何と言うことでしょう。主イエス・キリストは神の子でいらっしゃることをご自分で独占なさらずに、私たちのことをも神の子にしてくださったのです。
私は神の子。「あなたがたは、あなたがたの神、主の子らである。」これが私たちのアイデンティティです。神である主を「父」とお呼びし、主イエス・キリストを仰ぐ。そこに本当の私らしさがある。今日も神をお呼びして祈る一日でありますように。
あなたの今日の祈りの道造りにキリストの祝福がありますように。