2024年3月21日木曜日

2024年3月21日の聖句

神は賢者には知恵を、分別を知る者には知識を与えます。(ダニエル2:21)
キリスト・イエスは、私たちにとっては神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。(1コリント1:30~31)

社会には知恵ある人がたくさんいます。この世で起こっていることを的確な言葉で言い表し、見事な見解を示す。そういう言葉に教えられることはたくさんあります。あるいは社会に直接関係のない知恵もたくさんあります。私の好きな数学もその一つです。その道を究めたところで生まれる知恵も、すばらしいものだと思います。
聖書は究極の知恵を知っています。「キリスト・イエスは、私たちにとっては神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。」この知恵は、私たちの学問や研究の先にある知恵ではありません。数学を究めても、この知恵にたどり着くことはできない。神からの知恵だからです。神からの知恵は神からしか来ない。キリスト・イエスこそ神からの知恵。この知恵は、義と聖と贖いになられた、と書いてあります。
知恵が義と聖と贖いというのは、ちょっとよく分からないような言葉です。どれも神さまとの関わりを表す言葉です。神さまとのふさわしい関わりを現す「義」。神さまの私たちとは異なるご性質を現す「聖」。神さまが私たちをご自分のものと宣言して下さる「贖い」。キリストこそ、私たちを神様の御前に生かしてくださる神の知恵そのものでいらっしゃる。
私たちはこの知恵をただ神からいただく。そしてそれに応えるようにして、人間の知恵は与えられた知識や研究を尽くして奉仕します。すべては神の知恵に仕えるために。そこに、学問の最もふさわしい場所があるのだと思います。神さまの御手は本当に大きい、と思います。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...