2024年7月24日水曜日

2024年7月24日の聖句

主が私を遣わされた。すべての嘆く人を慰めるために。(イザヤ61:1,2)
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように。私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈しみ深い父、慰めに満ちた神がほめたたえられますように。(2コリント1:2~3)

主イエス・キリストにあって私たちが「父」とお呼びする神さまは、慈しみ深いお方です。「父」という呼び名に、既にその慈しみが現れています。神さまは私たちにとって遠く離れた方ではなく、私たちと無関係な顔をなさる方ではない。私たちへの慈しみに富んだ父、そして慰めに満ちたお方です。この「慰め」という言葉は、「呼ぶ」という言葉に「側」という接頭辞がくっついてできた言葉です。側にいて呼びかけてくださる。神さまは私たちのすぐ隣りにいてくださる。側近くでいつも私たちに語りかけてくださっている。
神さまの父としての慰めに満ちた御心が、私たち自身をも慰めの人として生かします。私たちも、神をまねて慰めの人として生きるように、神に招かれています。共に生き、隣りにいて語りかける人へと。
神さまの慰めが、私たちの間に宿りますように。そして私たちの交わりを通してそれがますます明らかにされますように。主イエス・キリストの恵みと平安が今日もあなたと共にありますように。心から祈ります。

2025年1月6日の聖句

主は私に緑の牧場で草を食ませ、 清新な水のもとへと誘われる。 主は私の魂を蘇らせる。(詩編23:2~3) あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり監督者である方のもとへ立ち帰ったのです。(1ペトロ2:25) 時々、牧場に行くことがあります。羊がいます。羊は...