あなたの父と母を敬いなさい。(出20:12)
だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(ローマ15:7)
主イエス・キリストが私たちを受け入れてくださった。この事実こそが、私たちの人間関係のすべてです。キリストがそうしてくださったように、私たちも互いに相手を受け入れ、愛し合って生きていきたい。それが私たちの願いです。
ところが、私たちの現実はなんとそこから遠くかけ離れていることでしょう。ちょうど、主イエスがしてくださった一万タラントンの譬え話のように。一万タラントンという天文学的な借金をしていたひとりの僕。返せるわけのない借財を、王がすべて帳消しにしてくれました。ところがその帰り道に彼は自分が100デナリオン貸している仲間に出会うと、首を絞めて牢に入れてしまった。主イエスは、本当に私たちを深くご存じです。赦されたことを簡単に忘れ、だからこそ仲間を赦すことができない。誰もが思い当たる節がある(「ある」というよりも、むしろ「ありすぎる」と言った方が良いかもしれません)話ではないでしょうか。
キリストが私たちを受け入れてくださいました。一万タラントンの負債をすべて帳消しにしてくださいました。私たちはただただキリストの憐れみのお陰だけで生きています。「互いに相手を受け入れなさい」というのは、ただひたすら、キリストが受け入れてくださったという事実に立ち返り続けることでだけ拓かれる道ではないでしょうか。
だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(ローマ15:7)
主イエス・キリストが私たちを受け入れてくださった。この事実こそが、私たちの人間関係のすべてです。キリストがそうしてくださったように、私たちも互いに相手を受け入れ、愛し合って生きていきたい。それが私たちの願いです。
ところが、私たちの現実はなんとそこから遠くかけ離れていることでしょう。ちょうど、主イエスがしてくださった一万タラントンの譬え話のように。一万タラントンという天文学的な借金をしていたひとりの僕。返せるわけのない借財を、王がすべて帳消しにしてくれました。ところがその帰り道に彼は自分が100デナリオン貸している仲間に出会うと、首を絞めて牢に入れてしまった。主イエスは、本当に私たちを深くご存じです。赦されたことを簡単に忘れ、だからこそ仲間を赦すことができない。誰もが思い当たる節がある(「ある」というよりも、むしろ「ありすぎる」と言った方が良いかもしれません)話ではないでしょうか。
キリストが私たちを受け入れてくださいました。一万タラントンの負債をすべて帳消しにしてくださいました。私たちはただただキリストの憐れみのお陰だけで生きています。「互いに相手を受け入れなさい」というのは、ただひたすら、キリストが受け入れてくださったという事実に立ち返り続けることでだけ拓かれる道ではないでしょうか。