2024年8月20日火曜日

2024年8月20日の聖句

(アブラハムの)僕は、主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうと、黙って彼女を見ていた。(創世記24:21)
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロを私のために選び出しなさい。私が前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。(使徒13:2~3)

今日の新約聖書の御言葉は、初代教会の祈りの足跡が記されています。最初の教会は、祈ってバルナバとサウロを宣教旅行に送り出しました。異邦人への宣教が具体的に始まっていきます。最初の教会の大きな転換点を迎えたのです。
この時彼らが祈ったということが本当に大事です。「祈る」というのは、私たちの人間としての業を一度すべてやめてしまうということです。沈黙し、すべての業を停止し、ただ神の御前に出て神からの答えを待つ。ところが私たちの周りにはいろいろな声が溢れています。埋め尽くされています。現代社会であればなおのこと、スマホやテレビからいろいろな声が響いています。私たちが祈ることを阻害します。祈らなくても検索すれば、あるいは誰かに相談すれば済んでしまうと私たちは思えてしまいます。そういう環境が周りにそろっている。しかし、最初の信仰者たちは異邦人に福音を宣べ伝えるという新しい教会の歩みを始める決断を、自分たちの業を停止し、沈黙し、ただ祈ることだけによって始めました。人間としての業を超えた業に仕えるからです。神ご自身の御声に聞くのでなければ始めることができないからです。
アブラハムの僕も、沈黙しました。ただ成り行きに任せたのではありません。神ご自身が自分の旅路をどのように導くのかを見極めたのです。(詳しい経緯は、創世記第24章をお読みください。)
私たちも、沈黙しましょう。沈黙してただ神の御言葉だけに耳を傾けましょう。私たちの周りに響くたくさんの声も、自分の内に響いているあらゆる声も沈黙し、ただ神がお語りくださるのを待ちましょう。聖なる沈黙、聖なる待望へと、私たちは今招かれています。

2024年9月19日の聖句

(主よ、)あなたの僕を裁きにかけないでください。生ける者の中であなたの前に正しい者はいないからです。(詩編143:2) イエスは女に、「あなたの罪は赦された。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。(ルカ7:48,50) 主イエスさまが私たちを赦してくださる...