2025年6月28日土曜日

2025年6月28日の聖句

主は弱い者たちを正義によって裁き、地の苦しむ者たちのために公平な判決を下す。(イザヤ11:4)
イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」(マタイ11:4~5)

洗礼者ヨハネは主イエスに洗礼を授けましたが、そのヨハネ自身がかつて言っていました。「私は、その(イエスの)履物をお脱がせする値打ちもない。」ヨハネはイエスこそ神の愛する御子であり、むしろ自分の方がイエスに願って洗礼を授けて頂くべき者に過ぎないと知っていましたし、そのことを信じていました。
しかし、その後の主イエスの歩みは、もしかしたらヨハネが思い描いていたものとは違っていたのかもしれません。いくら期待して待っても、華々しい活躍が聞こえてこない。やがてヨハネはヘロデに捕らえられます。それで獄中のヨハネは自分の弟子をイエスのところに遣わして「来たるべき方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」と尋ねました。ヨハネは分からなくなってしまったのだと思います。いつまで経っても「ヘロデの支配」は終わらない。本当にこのお方に期待して待ち続けて良いのだろうか?来たるべき方は、もしかしたら別にいるのではないだろうか?
私たちが抱くのと同じ問いをヨハネも抱いています。本当にイエスを信じ続けて良いのか?現代のヘロデたちが支配するこの世界はどんどん悪くなるばかりではないか。イエス様を信じることや神さまに祈ることよりももっと他にするべきことがあるのではないか?他の救いがこの世界には必要なんじゃないか?
そんな私たちの問いに、主イエスはお答えになります。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、規定の病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」現に、キリストが神の国をもたらしてくださっている。キリストが宣言した神の国がもう始まっている。この事実を見なさい、と主イエスはおっしゃいます。私たちの目にはヘロデの支配しか見えません。私たちには憎しみや欲に覆われた世界の様相しか目に入ってきません。しかし主イエスは、キリストの宣言した神の国が始まっているしるしがこんなにある、それを見て、信じなさいと私たちにおっしゃいます。あなたにも、キリストがお始めになった神の国のしるしが見えているはずだ、とキリストご自身が言われるのです。

2026年1月15日の聖句

さあ来て主に向かい、喜び歌おう。 私たちの救いの岩に喜びの声を上げよう。(詩編95:1) あらゆる国々の民が来て あなたの前にひれ伏すでしょう。 あなたの正しい裁きが 明らかにされたからです。(黙示録15:4) 私たちと同じプロテスタント教会の伝統に生きる教会の中でも例えばメソジ...