神は私たちが知りえない偉大な業を行う。(ヨブ37:5)
父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。(マタイ5:45)
まさにその通り、しかしすぐに忘れてしまう。それが今日の御言葉だと思います。「神は私たちが知りえない偉大な業を行う。」私たちには、神さまのなさることを見極めることなんてできません。人間に過ぎませんから。神さまのなさることや神さまの思いを何でも知っているなんて、傲慢です。しかし、何とたびたびその傲慢を犯してしまうことでしょう!そして、現実が自分の意にそぐわないときに悪いのは神さまの方であるかのように考え、そのような言葉を口にし、あるいは不機嫌のままに振る舞ってしまう。傲慢なことです。しかし、現によくしてしまっていることです。
主イエスはおっしゃいます。「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」私の基準からすれば、私が「悪人」と思う人には悪いことがたくさん起きて、ちゃんと懲らしめられることが正義だと考えてしまいます。私の見えていることとか計算できることを前提にすれば、自分が思う正義が貫徹され、自分が悪と思う人が酷い目に遭うことが道理に適っていることになる。しかし、主イエスは「その通り」とはおっしゃいません。誰にでも太陽は昇る。善人にも悪人にも。それはどんな人をも愛する神さまの、父としての愛と慈しみに他ならない。むしろ神の大きな御心を知ってほしい、と主は言われるのです。
私たちに知りえないこと、私たちには謀りがたいことがあることを、謙遜に受け止め、喜びましょう。私たちの思いの外にあることこそ、神さまの愛の無限な大きさの証拠なのですから。
父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。(マタイ5:45)
まさにその通り、しかしすぐに忘れてしまう。それが今日の御言葉だと思います。「神は私たちが知りえない偉大な業を行う。」私たちには、神さまのなさることを見極めることなんてできません。人間に過ぎませんから。神さまのなさることや神さまの思いを何でも知っているなんて、傲慢です。しかし、何とたびたびその傲慢を犯してしまうことでしょう!そして、現実が自分の意にそぐわないときに悪いのは神さまの方であるかのように考え、そのような言葉を口にし、あるいは不機嫌のままに振る舞ってしまう。傲慢なことです。しかし、現によくしてしまっていることです。
主イエスはおっしゃいます。「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」私の基準からすれば、私が「悪人」と思う人には悪いことがたくさん起きて、ちゃんと懲らしめられることが正義だと考えてしまいます。私の見えていることとか計算できることを前提にすれば、自分が思う正義が貫徹され、自分が悪と思う人が酷い目に遭うことが道理に適っていることになる。しかし、主イエスは「その通り」とはおっしゃいません。誰にでも太陽は昇る。善人にも悪人にも。それはどんな人をも愛する神さまの、父としての愛と慈しみに他ならない。むしろ神の大きな御心を知ってほしい、と主は言われるのです。
私たちに知りえないこと、私たちには謀りがたいことがあることを、謙遜に受け止め、喜びましょう。私たちの思いの外にあることこそ、神さまの愛の無限な大きさの証拠なのですから。