2019年6月16日日曜日

2019年6月16日(列王記上1)

今日の通読箇所:使徒言行録10:24~48、列王記上1、ヨブ記28

列王記上1;
ダビデが老年を迎え、自分の身の回りの世話もすべて人任せにしなければならなくなった頃、ダビデの四男にあたるアドニヤという男が思い上がり、自分が次の王になると宣言しました。将軍ヨアブや祭司エブヤタルといった有力者が彼に組していました。
どうしてこのようなことになってしまったのか。「こうなったのも、彼が生まれてこの方、父親が、『どうしてこのようなことをしたのか』などと言って厳しくしつけることがなく、またアドニヤ自身、容姿端麗で、アブシャロムの次に生まれた子だったからである(6節)」と評価しています。父ダビデは、アブシャロムのこともあって彼を厳しくしつけることができず、彼の過ちを方向修正するという経験をお互いに積んできませんでした。ダビデの親としての弱さが、このような混乱を生んでしまったようです。
しかし、ダビデの次の王は、ソロモンでした。預言者ナタンを中心として、若きソロモンを支える者たちが国の中にいました。ナタンは、ダビデがソロモンの母となったバト・シェバを彼女の夫から奪ったときに、ダビデの所へ来て叱責した預言者です。「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ(マタイ1:6)」、彼が新しい王となったのです。
神様のなさることは、本当に不思議だと思います。一体誰がバト・シェバが次の王を産むと想像することができたでしょうか。ダビデがウリヤから妻を奪い、彼を殺したことは、決してあってはならないことです。しかし、神様はそのあってはならない罪深い出来事の先に、新しい出来事を始めてくださいました。やがて、この家系が主イエスにつならなることは、私たちの気が遠くなるような大いなる御業です。私たちの罪さえをもお用いになる神様を仰ぎ、畏れ、今朝の礼拝へ、神の御前へと進み出ていきましょう。

2024年12月23日の聖句

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