2019年9月27日金曜日

2019年9月27日(イザヤ書57〜59)

今日の通読箇所:テモテへの手紙二1、イザヤ書57~59

イザヤ書57~59;
高みにおられ、崇められ、永遠におられる、その名が聖である方がこう言われる。私は高く、聖なる所に住み、打ち砕かれた人、低められた人と共にいて、低められた人の霊を生き返らせ、打ち砕かれた人の心を生き返らせる。(57:15)
神様が私たちに求めておられる正義は、打ち砕かれた人、低められた人が生きることのできる正義です。正義の名の下に弱い者が虐げられるのではなく、弱っている人が息を吸えるようになることをこそ、神様は私たちに求めておられます。
国際的な環境問題への取り組みについて、国連本部でスウェーデンの16歳の女性がした演説が話題になりました。次世代は、現時点に発言する声をほとんど持たないという意味で、社会の一つの弱者です。私たち現役世代は、声なき次世代にどういう世界を残すのか、問われているのではないしょうか。このままで行くと、弱っている者がますます虐げられる社会が将来さらに強まってしまうことは、必定です。
しかし、弱者のために声を上げたり行動をしたりするのは、簡単なことではありません。神様はそんな私たちに言われる。「誰におびえ、誰を恐れて、あなたは欺くのか。あなたは私を思い出しもせず、心にかけることもなかった。私が長らく沈黙してきたので、私を畏れないのか(57:11)」。神様が誰の側に立っておられるのか、私たちはよく見極めて、ほかの何者をも恐れることなく行動することが大切なのでしょう。
「見よ、主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえていないのでもない。ただ、あなたがたの過ちが神とあなたがたとを隔て、あなたがたの罪が御顔を描くし、聞こえないようにしている(59:1)」。私たちを神様から引き離す私たち自身の罪、自分のために不正義を容認し、正義を行うことに怯んで妥協したり、自分よりも弱い者の上に平気で乗っかってしまったり、・・・数えたら、きりがないほどです。私たちの罪が神様の御顔を隠してしまう。キリストは、その罪を引き受けて、私たちを神様の御前に連れ戻してくださったのです。

2024年7月14日の聖句

今週の聖句: あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です。(エフェソ2:19) 今日の聖句: 地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは主のもの。(詩編24:1) ですから、あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者...